国際的なスポーツ機関で働く人材育成を目的に2000年に開設されたスポーツ学の大学院「FIFAマスター」。過去には宮本恒靖氏が現役引退後に受講したことで話題になった。

ここではいったいどのような学びを得られるのか。12人目の日本人FIFAマスター受講者として現在在学中である内田大三氏に入学試験や授業、クラスメイトとのコミュニケーションなどを紹介してもらった。

入学までの経緯

 4年に1度、世界中が夢中になる祭典FIFAワールドカップを仕掛ける側になりたい。日本サッカー協会が掲げる「2050年までにFIFAワールドカップを日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームになる」一員になりたい。その実現にはFIFAに近づくことが必要だと考え、現ガンバ大阪監督の宮本恒靖氏も学ばれたFIFAマスターへの入学を決意しました。

 しかし、入学のハードルは高くFIFAマスターの受験資格は4年制大学を卒業し、TOEFL100点以上もしくはIELTS平均7.5以上の英語力を有すること。私はどちらの点数も持っておらず、就労時間が不規則だった当時の仕事柄、予備校に通うことは難しかったので通勤時間や有給休暇を駆使して勉強時間を確保して資格を取得しました。

 10月に募集要項が発表された書類選考ではまず勤務先と大学からの推薦状(英文)が必要です。加えて、500語前後の英作文の課題は9問あり志望動機や国際経験、スポーツ以外の関心事など様々な角度からの自己紹介を求められます。スポーツ界が今後直面する課題を想定し、それを乗り越えるためにFIFAマスターで何を学びたいか、学生時代や社会人としての経験をクラスにどのように還元できるのかなどを問われました。

 2月末に書類選考を突破した旨の連絡を受けた1週間後には最終選考となる電話面接が実施されました。「FIFAマスターに進学した場合はラグビーW杯や東京五輪に携わる機会を失うのではないか」「平均年齢26歳前後のクラスに30代半ばの私は馴染む不安はないのか」「10年も働いているのに大学院への進学をなぜ望むのか」などを聞かれました。事前に英語ネイティブの友人たちが英作文の添削と模擬面接まで協力してくれたおかげで選考は無事合格。

年末や正月にも夜遅くまで協力してくれた友人たちや「夢の実現のためならば」と送り出してくれた前職のみなさまと妻には感謝してもし切れません。

オリンピック最大の汚点

 FIFAマスターは11か月の間イングランド、イタリア、スイスの3カ国で学びます。まずはレスターでサッカーを中心とした歴史や社会学。続いてミラノで組織論や会計学。最後のヌーシャテルでは法学を学び、7月中旬にYouTubeでライブ配信される中で研究発表を行い卒業します。

 今年のクラスは私を含めて28カ国から32人で構成されており、男女比は約2:1。授業は大学教授やゲストスピーカーによる講義。そして、企業訪問がおおよそ6:3:1の割合で行われます。

 入学後、9月から12月まで過ごしたレスターでは、FIFAワールドカップやオリンピックの歴史を当時の世界情勢を踏まえながら理解を深めました。中でも1936年ベルリンオリンピックをナチス政権がそのプロパガンダをアピールするために活用しようとしたことは歴史上最大の汚点であると複数の教授がしている強調されていたことが印象的でした。

 1964年の東京オリンピックは日本が第二次世界大戦から復興を遂げ、反戦国として再スタートを切っていると世界中へと発信することに成功。その後も1992年のバルセロナオリンピックや2008年の北京オリンピックは両都市が世界有数の都市への仲間入りを明確にアピールし、現在の隆盛 に繋がっています。その反面、ナチス政権の暴政は数え切れないほどの悲劇をもたらし、その象徴とも言えるロゴをスタジアムで掲げることなど言語道断。

選手やレフェリーだけでなく我われサポーターも「世界基準」の知識が求められるのだなと実感しました。

スポーツイベントのレガシー

 近年のスポーツイベントの誘致にとって欠かせない「レガシー」については、FIFAワールドカップやオリンピックなどビッグイベントの拡大や商業化と合わせて理解を深めました。ここでは1カ月前後の短期間イベントのためにスタジアム建設などに莫大な投資をしたものの、大会終了後に廃墟と化してしまった多くの実例を通じて今後のスポーツイベントはどのように在るべきなかを最終課題として発表。既存の施設を活用した方が開催費用は抑えられるものの、そうするとインフラが整っている国々でしか開催できずに競技の世界的な市場拡大を阻害するのではないかという議論に発展しました。

 日本でも2002年に開催されたFIFAワールドカップがきっかけで全国各地に新たなスタジアムが建設され、東京オリンピックも交通インフラをはじめとした都市開発を促進したことは事実です。だからこそスポーツイベントの開催だけでなく、新たなパートナー企業や個人、さらにはクラウドファンディングなどで支援を求める際には「私たちを応援してください!」という一方的な言葉だけでなく、相手を巻き込む具体的なレガシーを提示することが必要なのではないでしょうか。

マンチェスター・ユナイテッドの世界戦略

 企業訪問ではサッカービジネス界の大企業だからといって胡坐(あぐら)をかくことなく、市場開拓と収益拡大を続けるマンチェスター・ユナイテッドの商魂のたくましさと絶妙なバランス感覚を実感。例えばチャンピオンズリーグに出場できずヨーロッパリーグに出場に出場できれば初めて訪れる国での市場を開拓し、ソーシャルメディアのフォロワー数を増やしては営業ツールとして活用する好循環に繋げています。

 また、スタジアムの集客率を常時満員にし、チケット収入の次なる柱は高級サービスがもてなされるホスピタリティ席のサービスと販売価格の向上と考える反面、熱狂的な雰囲気を生み出すゴール裏などのチケット価格は可能な限り据え置いてスタジアムの「圧」を保つことにも配慮しているとのこと。

 マンチェスター・ユナイテッドがピッチ上で積み重ねた数々の栄光によって築いたブランド力を駆使して世界中で推し進める営業力を目の当たりにし、Jリーグはどうすれば太刀打ちできるのかと考えました。果たしてお金では買うことのできない「歴史の重み」を持っていない者は、持っている者に一生太刀打ちできないのか。そのヒントはクラブ博物館を有するマンチェスター・ユナイテッドに対し、博物館は持っていないものの、新たな歴史を築くために独自の世界戦略を推進する同都市のライバル、マンチェスター・シティを訪問した際に発見しました。ピッチ上ではライバルだが、ピッチ外では積極的に情報交換をし、お互いの良いところから学び合っているとのこと。そしてマンチェスター・シティであればシティ・フットボール・グループとしての世界戦略など、信念をもって粘り強くも、時代に合わせられる柔軟性をも持って信念を貫くことで必要とされる存在になれるのではと思いました。

これはまさに今Jリーグが取り組んでいることではないかと思い、この流れが継続することを強く願いました。

ワールドカップを再び日本へ!FIFAマスター受講中間レポート

オールド・トラッフォード訪問時の集合写真

スポーツ界のビジネス戦略

 1月からはミラノで組織のマネジメントや持続可能な企業の在り方、そして会計などを中心に学びました。

 イタリアスポーツ界にてアドバイザーとしても活躍しているインテリスタの教授に「ACミランの苦戦が続いている理由は経営トップが頻繁に変わり、営業や広報担当など現場の方々への経営層からの指示も頻繁に変わっているため長期的な戦略を実行できないことが原因か」と質問したところ、悪戯な笑みとともに「その通り。スポーツ界も他のビジネスと同じく、広い視野と実現可能な計画を立てないと悪循環に陥る」との回答。まさに、スポーツビジネスには試合の勝敗に経営が左右されやすく不確実性が高いという特異性があるものの、場当たり的ではなく企業理念や存在価値(長期目標)を明確にした上で今やるべきこと(短期目標)を明確にする「ビジネス」との共通項は多く存在するのだなと実感。

 また、昨今よく耳にする「持続可能な企業づくり」では様々な実例から学びました。イタリアではユベントスは他業種とのコラボ、フェラーリは圧倒的なブランド力を生かした富裕層への需要喚起に注力しています。イタリア国外に目を向けると、FCバルセロナは人材育成やデータ解析を通じた新ビジネスの創出、そしてカタールはスポーツを通じて自然環境や教育環境の改善に取り組んでいることなどを現場の担当者から直接うかがえるFIFAマスターの恵まれた環境を実感しています。しかし、それらはすべて圧倒的な競技実績や資金力を誇っている団体であるため「そうではない規模のクラブや団体の取り組みも学びたかったよね」と何人かのクラスメイトとはこっそり言葉を交わしました。

FFPと放送権料

 会計の授業ではマンチェスター・シティやパリ・サンジェルマンが抵触したことで話題になったFFP(ファイナンシャル・フェア・プレー)制度の理解など、こちらも「持続可能」なクラブ経営に不可欠な内容でした。一般公開されているクラブの年次報告書を通じて経営状況を分析していくと、多くの欧州トップクラブの経済状況はチャンピオンズリーグから得られる放送権料に左右されている事実が明らかに。デロイト社やKPMG社のレポートにも同様の内容は記載されているものの、自分たちで計算し、その背景を理解することで理解が深まりました。

 欧州ではサッカーの価値がとても高く、経営が傾いてもどこの馬の骨とも分からない大富豪が名声を得たいがために登場することが頻出しています。そのため危機意識が緩んでしまい、FFPに抵触しないような帳尻合わせの経営が続出する正常なビジネスとしての機能がスポーツビジネス大国のアメリカほど浸透していない印象を受けました。

近年はアメリカからプロフェッショナルを招聘するなど積極的に学び、放送権収入に依存している経営リスクを分散するために多くのクラブがスタジアム観戦に高級サービスを付随したホスピタリティ席の営業などに注力しています。それでもチャンピオンズリーグの放送権収入の成長はとどまることなく(これはこれで素晴らしいことなのですが)、結果的に欧州スーパーリーグ構想の実現は避けられないのではという議論もしました。

ワールドカップを再び日本へ!FIFAマスター受講中間レポート

FFPの授業時のホワイトボード

FIFAマスター卒業後のキャリアプラン

 最も印象に残った授業は28カ国それぞれの歴史や現状をクラスメイトたちと紹介し合ったことでした。私はサッカーが日本で一番人気のスポーツではない状況においてFIFAワールドカップの常連国になり、なでしこジャパンのFIFAワールドカップ優勝、Jリーグクラブのアカデミーだけでなく学校の部活や街クラブなど多様な選手の育成環境、そして世界トップ10に迫るJリーグの観客動員数など、いかに日本においてサッカーが人々の生活に浸透したのかを紹介しました。するとフィリピン人の同級生から「バスケが一番人気のフィリピンは欧州のメガクラブを参考にできる状況ではないからJリーグのことをもっと教えてほしい」との相談を受けたことも。

 FIFAマスターは大半の教授が欧州出身で欧州を拠点にしているため、授業内容も欧州の実情に偏りがちです。サッカービジネスの中心は欧州なので最新かつ歴史ある分厚い学びを得られる反面、「アメリカやアジア市場が今後の発展には不可欠だ」と言うのであれば欧州以外のマーケットの専門家による講義が増えても良いのではとも思い、飲み会の席などでもお互いの国々の歴史や現状の情報交換で盛り上がります。30代半ばにして損得勘定なしに仲間たちとワクワクできる、そして共にスポーツを通じて未来を築きたいと思える環境のありがたさを何度も実感しています。

 私が第20期にあたるFIFAマスターの卒業生はすでに500人を超えており、卒業生の方々はスポーツの国際連盟や各国協会、リーグなどの競技団体からクラブチーム、スポーツ関連企業や代理店など世界中で活躍されています。そして卒業生の繋がりはとても強固であり、例えば世界中の様々なカテゴリーのサッカーを無料配信しているMyCujoo社では新規開拓にあたって諸外国のサッカー連盟や関連企業に勤める卒業生を通じて担当者を紹介してもらうことでスピード感のある事業拡大に繋がっているようです。私たち在校生もクラスメイトはもちろんのこと、FIFAマスターOBとの関係も深めることが大切だと多くの卒業生から教えてもらっています。

 FIFAマスター入学後の日々を通じて、入学動機である日本でのFIFAワールドカップ再誘致の根本にある、サッカーを通じて世界中の人々の生活を豊かにするためには何がしたいのか、何ができるのかを考えています。

海外で就職するにあたって必要な就労ビザという高い壁に加え、世界中に甚大な被害をもたらしているコロナウイルスの影響は雇用状況にも影響をもたらすだろうと教授や卒業生たちからも耳にしています。それでもゲストスピーカーや企業訪問、そして強固な卒業生ネットワークなど世界へ飛び出す大きなチャンスを得たことは変わりません。私は放送局で得た情報発信の経験をサッカークラブや団体、関連企業など形態の異なる環境でも生かせるとの思いで就職戦線に臨みます。

ワールドカップを再び日本へ!FIFAマスター受講中間レポート
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