【あの人は今こうしている】


 関谷亜矢子さん
 (元日本テレビアナウンサー/60歳)


  ◇  ◇  ◇


 女子アナがアイドル的人気を博すようになった80年代の終わり、日本テレビのアナウンサーになり、主にスポーツの分野で活躍した関谷亜矢子さん。ちょっとタレ目で楚々とした雰囲気で人気が高かった。

関谷さん、今どうしているのか。


 関谷さんに会ったのは、JR新橋駅から徒歩5分の芸能事務所「ニチエンプロダクション」。日本テレビホールディングスの100%子会社だ。


「所属ではなく、協力という緩やかなカタチでお世話になっています。イベントの司会など、しゃべる仕事を続けていますからね。バリバリではなく、ボチボチな感じですけど」


 35歳のとき、3歳年下で、現在、日本テレビ取締役級チーフエグゼクティブスペシャリストの高橋利之氏と結婚し退社。家庭を優先してきたという。


「結婚当初、夫は演出、私は同じ局のアナウンサーなのでお互いやりにくいなと思っていたら、夫が『会社を辞める』と言うので、『じゃあ私が辞める』と。私がそう言うと見込んで、『僕が辞める』と言ったんじゃないかな(笑)。退社直後は、朝日新聞の夕刊で旬のスポーツ選手のインタビューの連載をもたせていただき、ジャーナリスト志望だった私はとても楽しかったです」


 38歳で一人娘を出産する直前まで続けた。



それまでの自信が打ち砕かれた子育て奮闘の思い出

「『世の中、だいたいのことはわかってる!』と思っていたのに、子育てではその自信が打ち砕かれました。とくに子どもが新生児から1歳の頃は、体力的にも精神的にもきつかった。

寝る時間がないうえ、朝、顔を洗えないまま子どものお世話をして、気付いたら夜、という毎日で。それでも子どもはかわいくて、もう1人ほしかった。年齢的に簡単ではなく、妊娠や出産について、若い頃からもっと知識があればよかったなと思いました」


 40代半ばから50歳手前まで、TOKYO MXの情報番組のMCを担当。4年前からは森永乳業の月刊PR誌「マミークラン」で各界の著名人と対談を行っている。


「気付いたら還暦! 自分ではあまり年齢を感じないので、病院の診察券などで“60”と書かれているのを見るとゲゲッと(笑)。ただ、昔はアナウンサーは若い人が求められていたと思いますが、今は年齢に合った仕事をいただける。これからも話す仕事に加え、チーズプロフェッショナルやワインエキスパートの資格を生かして、それらの業界を応援する活動をしていきたいですね」


 週2、3回のホットヨガで体を整え、体調は万全だそうだ。


 近年は、タレントや女優に転身する女子アナが目立つ。関谷さんはソッチには興味はなかった?


「全然! 局アナの頃、華やかな衣装を着て歌う仕事をやらせていただいたときは、心の中で『私は何をやってるんだろう』と思っていましたから。でも、やりたい人、やれる人はやったらいいですよ。私もミュージカルは大好きなので、生まれ変わって才能があればミュージカル俳優になりたい、と思うくらいです(笑)」


 スポーツ観戦も趣味で、夫と野球や大相撲観戦を楽しんでいるという。


「夫が若く見えるので、『息子さんですか?』と言われたことがあって……」


 そりゃひどい。


 22歳の長女は、この春、商社に就職。テレビ局は選ばなかったのだ。


「海外で仕事をしたい、得意な英語を生かしたい、と思っているようです」


 ともあれ、親としては、少しホッとしただろう。


 さて、東京・渋谷生まれ、神奈川・茅ケ崎育ちの関谷さんは国際基督教大を卒業した1988年、日本テレビにアナウンサーとして入社。「独占!!スポーツ情報」や「The・サンデー」などの情報番組で、主にスポーツキャスターとして活躍し、美人アナとして人気を博した。


「ジャイアンツの選手からアプローチはなかったのか? よく聞かれます! 思い起こせば、『あれは女性として誘われていたのかな』ということもあったかな、という程度(笑)。アナウンサーの先輩の指導が厳しく、取材対象者とは一線を画さなくてはいけない、という意識が強かったですね」


 テレビ人気の下降や、最近の女子アナの話題についてはどう感じているのか。


「テレビは短い番組でも手間や時間、お金をかけて丁寧に作られていますし、自分の興味の範囲外のことにも気付きを得られるメディア。ネットニュースやYouTubeとは違う価値がある。『上納』ウンヌンについては、私は全然ないと思っています。人と人が個人的に親しくなることはあるでしょう。でも、それはどの業界でも同じではないでしょうか」


(取材・文=中野裕子)


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