【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】


 新沼謙治さん(歌手/69歳)


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 デビュー50周年を迎えた新沼謙治さん。やりたいことは大好きな鳩を広々とした土地で飼うことだが、もはや、実現不可能? 50周年の日々と思いを聞く。


■故郷の大船渡時代から飼ってきた2000羽


 僕は小さい頃から鳩と慣れ親しむ暮らしをして、トータルで2000羽くらい飼ってきました。今も日本鳩レース協会の会員ですが、もうレースに参加していませんし、鳩小屋も手放したので飼っていないんです。


 鳩を手放してしまったきっかけは妻が亡くなったこと。僕が地方巡業に行っている間は妻が餌や水をあげてくれていましたから。


 レース鳩の調教は毎日同じルーティンできちんと管理しないとできないんです。僕が地方にいる間、他の人が3日間餌やりをすると鳩はおかしくなっちゃう。


 ハンドラーといって調教と管理をやる人を雇う方法もありましたが、自分たちでやるのが楽しいですしね。ひとりで管理するのは難しくなって手放しました。


 今は都会に住んでいるのですが、いつかは広々とした自然の多い土地に住んで鳩を飼い、餌をやったり、雛を育てたり、飛ぶ姿を見たりして暮らすのが夢。でも、結論から言えば、70歳になる自分にはもう無理な夢ですよね。


 思い起こせば、昭和30年代から40年代の田舎では鳩を飼う家が多かった。一日が鳩に始まり鳩に終わる生活の中で、子供は鳩とともに育ちました。

鳩が大空を気持ちよさそうに飛ぶ姿を見ると、すごく心地よくなるんですよ。そして、鳩は悠々と飛んだ後に家の鳩小屋に帰ってくる。そこも本当にかわいいんです。


 大人になって、芸能界で頑張っていた時期からはレースにも参加しました。だから今思えば、広い土地を持って自然の中でたくさんの鳩と暮らす夢は必死に頑張れば、実現できたかもしれないんです。


 たとえば所ジョージさんはたくさんの車を所有するという夢を実現させました。仕事と同時にプライベートでも夢をかなえた芸能人は他にもいっぱいいますものね。それが僕なら大きな敷地で鳩を飼うことでした。



自然の中で鳩を眺めて生活したかった

 鳩はヨーロッパから来た鳥ですが、ヨーロッパだと鳩を飼う敷地がゴルフ場くらい広く、鳩小屋がレンガ造りで、人が小屋に入る時はスーツ姿だったりします。そして重要なのは周りには花木など自然が豊富ということ。


 そこまではいかなくても僕も広い敷地にいろんな花木を植えて、鳩を放して、自然の中で四季を感じながら鳩を眺めて生活したかった。


「俺は、なんで鳩の夢をかなえなかったのかなあ」と、50周年の節目に反省しています(笑)。


■「おまえはお金になんないことばっかりやってた」と千昌夫さん


 今思えば最初から広い土地を買うことを目標にお金を貯めていればよかったですね。でも、僕はお金の使い方が下手だったんです。ある日、大先輩の千昌夫さんから「おまえは鳩とかバドミントンとか、お金になんないことばっかりやってたな」と言われたほどで(笑)。


 妻がバドミントンの選手だったので、僕もバドミントンを頑張って、全日本のシニア30歳代の大会で、ベスト16までいきました。僕はその時その時でやりたいことをやるだけで、計画性がなかったんですね。


 結局、仕事とプライベートの2つの夢をかなえるには相当、強い信念と計画性がないと難しい。あと、世の中をよく理解していないとかなわない(笑)。僕は理解していなかったなあ。


 振り返ると若い時分は歌の仕事に忙殺されていました。デビューから2年間は1日も休みがなかったんです。これは経験した人しかわからないと思います。当時は歌番組も生放送でしたし、多い時は1日に10本以上仕事が入って、コンサートから帰った足で上野駅からスタジオに直行して、夜中の1時から新曲のレコーディングをしたことを今も覚えています。


 それだけ働けばお金も貯まりそうですよね? でも、僕は性格がマイペースなのか、稼ぎまくっていた頃でも事務所の社長に「月に10日は休ませてください」と頼んで「おまえ、そんなに休むのかよ!」と呆れられたり、ある時は「田舎で1カ月間休みます」と宣言したり。


 その噂を聞いた森進一さんが「本当か? 俺は怖くて1カ月も休めないよ!」と驚いていたのを覚えています。当時は少しテレビに出ないと忘れられちゃう時代でしたから。ですから、広い土地を買えるほどには貯まらなかった。



昭和歌謡がウケる時代に改めて歌い直したい

 そんな感じで50年間があっという間に過ぎました。記念の新曲は地元の大船渡のことを歌っています。デビューが決まって故郷を出る時に、みんながのぼりを振ってくれて「頑張れよー!」って言ってくれたんです。その日の光景は今でも忘れられない。震災もありましたし、妻の旅立ちもありました。だから、50年間お世話になったいろんな方に感謝を込めた詞を書きました。カップリング曲、昔風に言うB面は妻への感謝を込めて作った曲です。


 仕事でやりたいことは今まで歌ってきた曲を改めて歌い直すこと。

50年間ずっと応援してくれた方に喜んでほしい気持ちもあるし、今はテレビで昭和の歌謡曲を特集して若い人たちにウケていますよね。演歌を好きになる子もいる。テレビで歌う機会には僕の古い歌を若い人にも気に入ってもらえたらいいなあ、と。


 50年の月日を超えて「おもいで岬」や「嫁に来ないか」も歌い続けたい。こちらの夢は必ずかなえたいです。


(聞き手=松野大介)


▽新沼謙治(にいぬま・けんじ) 1956年2月、岩手県大船渡市出身。「スター誕生」に合格し76年に歌手デビュー。「嫁に来ないか」でレコード大賞新人賞。ヒット曲多数。2011年9月に亡くなった夫人はバドミントン選手で世界的大会4度優勝の湯木博恵さん。2025年4月9日、デビュー50周年記念曲「思い出したよ故郷を/アルバムの中の君」を発売した。


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