サザンオールスターズの桑田佳祐(69)とキーボード原由子(68)の夫婦エピソードが話題である。13日放送のTBS系「日曜日の初耳学」にゲスト出演した桑田は、2017年7月に食道がんがみつかった日のことを振り返り、「まさか自分が」と呆然としつつ真っ先に妻を呼んだことを明かした。
「うちの原を呼んだんですけど『あっそうなんだ』って。うれしそうじゃないけど、絶対悲しむだろうなと思っていたから、あっそって明るかったので救われた」
さらに「彼女はお薬のこととか、やたら詳しくなりまして。難しい用語とか飲むタイミングとか、ジェネリックになった時もそっちの方の名前を覚えたりして、ありがたいことに僕は目の前に薬が並べられるのをただ流し込むだけでした」と感謝の言葉を口にした。
当時を知る音楽関係者によると、手術は食道と胃をつなげるというもので計6時間に及び、その後もICU(集中治療室)での入院生活が続く大変なものだったらしい。原由子はこのとき明るくふるまった理由について、2022年10月放送のテレ朝系「徹子の部屋」に出演した際、こう打ち明けている。
「私もすごくショックだったんですけど、私が泣いたり、うろたえたりすると桑田が余計不安になっちゃうんじゃないかなと思いまして、絶対治るんだから大丈夫だよ、なに心配してんのって顔をしていたんです」
桑田は原について「彼女がいないと僕は成立しない」と常々言っているそうだが、サザンオールスターズとして、1978年にシングル「勝手にシンドバッド」でデビューした当初はコード譜や譜面を書くのが苦手だった桑田を原がサポート。「私が適当にですけど、簡単にメモはしてました。当時は音声メモもなかなかできなかったので」などと、司会の黒柳徹子に明かしていた。
桑田にとって原は公私ともに必要なパートナーなのだ。
■43年前の「いとしのユウコ」が今も鳴り響く
その原に対して、贈った曲として知られるのが名曲「いとしのエリー」である。
「実姉の岩本えり子さんの名前に由来するといった説もありますが、桑田が原坊に別れ話をしたあとにかけがえのない存在であることに気が付いて、その気持ちを込めたラブソングとして知られています。電話口で『新曲ができたよ』と伝えたとき、印象的なはじまりに『シンコペーションね』などと感想を言ったらしいのですけど、『いい曲だね』と評価してもらったことで自信を得たそうです」(前出の関係者)
かくして「ずっと一緒にいよう」とプロポーズし、1982年に結婚。
「ほとんどの女性は、俺がこうやって何でもない小石を拾って渡しても、キョトンとするだけだと思うんです。でもハラボーは違うんです。俺がこうやって小石を渡す。すると彼女は、桑田さんがくれたものなら、何か絶対に意味がある。そう思って、小石を大切に持ってくれる人なんですね。世の中に多くの女性がいても、小石を大切に持っていてくれるのはハラボーだけなんです」
桑田の「いとしのユウコ」は結婚から43年たった現在も、響いているようだ。
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