【あの人は今こうしている】
坂井宏行さん(料理人/83歳)
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1990年代、プロの料理人らの熱い対決が人気を博したバラエティー番組「料理の鉄人」(フジテレビ系)。腕前の競い合い、迫る制限時間に、手に汗握りワクワクした視聴者は多かっただろう。
坂井さんに会ったのは、東京メトロ表参道駅から徒歩3分の高級フレンチレストラン「ラ・ロシェル南青山」。南青山ル・アンジェ教会の奥に併設された、坂井さんがオーナーを務める店だ。
「ここと東京・山王、福岡の3店舗がありますが、運営する株式会社サカイ食品の社長は8年前に長男に譲り、僕は会長です。でも、偉そうにするのは好きじゃなくて、肩書は“店主”です」
名刺を差し出しながら、坂井さん、照れた様子でこう言った。ずいぶん日焼けしている。
「これは調理場のガス焼けで……というのは冗談で、晴れた日は自転車や日光浴をしているから。何年か前には、スペインのオルベアというメーカーのロードバイクを改造し、茨城にある鹿島神宮から福島まで9時間走ったことがあります。1級小型船舶操縦士の免許を持っているから、ジェットスキーを楽しんだりも。アクティブに動き回っているのが好きなんですよ」
悠々自適といったところか。
「いや、レストランが開店している日は毎日、渋谷の事務所で打ち合わせなどをした後、店に顔を出しています。スタッフが一番大事だから、一緒にマンジェ(まかない飯)を食べたりしながら話をしています」
オーナー店の運営のほか、石川県金沢市にある国際調理専門学校の学校長を務め、神戸の結婚式場「サンパレス六甲」の料理監修、介護食のプロデュースなども行う。
■“和の鉄人”道場六三郎さんと「美食会」を企画
「『料理の鉄人』で戦った“和の鉄人”道場六三郎さんと一緒に、年1回ほど『美食会』も企画しています。道場さんの店『銀座ろくさん亭』でコース料理を共作し、1人3万円ほどで提供しているんです。豪州シドニーのオペラハウスや中国のお城でも『美食会』をやったことがあるんですよ」
海外でも80人近い客が集まるというから、さすがの人気。それにしても坂井さん、元気だなあ!
「よく食べるから(笑)。朝はみそ汁など発酵食品を使った食事をとり、夜は焼き肉か寿司か餃子か。通っているのは高級店じゃなく、リーズナブルでおいしい店。たとえば、餃子は『上海家庭料理 大吉』が行きつけです。病気は、5、6年前に頚椎椎間板ヘルニアで手術を受けた以外はないですね。100歳まで生きますよ(笑)」
酒は飲めず、たばこは30代でやめた。歯はこまめなケアのおかげで、全部自分の歯だそうだ。
「夕食後、10時ごろ帰宅したら、ネットフリックスでアクション系の洋画を見て3時ごろ寝ます。自分好みにリフォームし、スッキリ片付けた部屋のソファでくつろいで映画を見ているとハッピー。
東京・世田谷で1人暮らし。21歳のときに結婚した元同僚の、2歳上の光子夫人は、洋裁を手がける次女と千葉で暮らす。孫はいない。
「“亭主元気で留守がいい”なんじゃない(笑)?ママには毎日何度も『元気か』などと電話をかけ、生存確認しています。何をやってもいいから、病気にだけは気をつけてほしいと思っています」
■「料理の鉄人」は世界中で人気
さて、鹿児島出身の坂井さんは大阪、豪州、東京などで料理修業を積み、80年、仏料理店「ラ・ロシェル」開店。94年から約6年間、人気バラエティー番組「料理の鉄人」に出演し“フレンチの鉄人”として活躍した。
「『料理の鉄人』は米国や豪州でも放送され人気があったらしく、豪州で現地の人に『鉄人!』と声をかけられるんですよ。フジテレビはもうかっただろうなぁ(笑)!僕ら料理人の出演料はあまり高くなかったですよ。でも、それ以上のPR効果がありました。顔を知られすぎて、コンビニで気軽に大好きなあんパンが買えない、なんてこともありましたが、すごく楽しかったです!」
(取材・文=中野裕子)
▽坂井宏行(さかい・ひろゆき) 1942年生まれ。鹿児島出身。17歳で料理人修業を始める。