【今週グサッときた名言珍言】


「そう考えてみると、俺、青山人だな(笑)」
 (タモリ/NHK「ブラタモリ」6月21日放送)


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 青山通りをバスで走っているときだった。タモリは、近くにあった原宿セントラルアパートの思い出を語り始めた。

まだ、タモリがデビュー間もない頃、そこに入居していたカメラマン・浅井慎平の仕事場を事務所代わりにしていたという。


 セントラルアパート内にはさまざまなクリエーターが集結していたため、そこだけで仕事が完結できたし、新しい文化をつくり出していた。夜になると、南青山3丁目を少し下ったところで飲み、ミュージシャンたちと交流を深めた。その時代の自分を振り返った一言が今週の言葉だ。


 当時、タモリは、夜は赤塚不二夫の家で居候生活をしていたが、朝10時ごろになると、浅井慎平の事務所にやってきて、こちらで“居候”をしていたのだ。タモリは、同じように暇をしている人物と、将棋を始める。それを浅井は「タモチャンの朝の将棋」と呼んでいたという(「朝日新聞」2021年10月2日)。


 夜になると、どちらが誘うともなく近くの居酒屋やバーに出かけた。2人は「まるで学生のように連れ立って、話すことに困らずよく喋った。共通のテーマはモダンジャズ」(同前)だった。


 タモリは多趣味で有名だが、一時期写真にものめり込んでいた。きっかけのひとつは浅井の仕事について行ったことだ。

ただ見に行くのでは面白くないからと、「謎の写真家の巨匠」になりすました。セッティングを終えると浅井が「こんなもんでどうでしょう?」とタモリに聞きにくる。タモリは「ウン」とうなずくだけ。現場の人間は一体誰なんだと混乱する(日本テレビ放送網・タモリ著「今夜は最高!」82年3月31日)。それを面白がっていたのだ。そんなことをしながらも「(浅井の)弟子よりも(写真を)教えてもらった」(テレビ朝日系「徹子の部屋」12年12月27日)と笑う。


「昭和という時代が、たまたま会わせてくれた人たちが何人かいた。それが、(山下)洋輔さんやタモリだった」(「産経新聞」21年12月27日)と浅井は言う。そうした交流の果てにふたりは、いまや“伝説”と評される映画を生み出す。浅井慎平が監督を務め、タモリが主演した82年公開の「キッドナップ・ブルース」(東宝)だ。浅井慎平は“あの時代”をこう振り返っている。


「昭和という時代は“狂気”を見せることを求めた。

普段、隠している狂気を見せることが、すなわち“表現”だった。洋輔さんはピアノで、タモリはあの形で、その狂気を見せた」(同前)


(てれびのスキマ 戸部田誠/ライタ―)


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