【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】#37


 1975年の洋楽③イーグルス


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 前々回取り上げたクイーン、前回のカーペンターズに比べたら、1975年段階での日本における人気や売り上げは、それほどではなかった。しかし、この年あたりから、日本でも支持され始めるのが、イーグルスである。


 アメリカではこの年、シングル「呪われた夜」が大ヒットしているのだが、日本における人気を決定付けるのは、翌年末発売の大ヒットアルバム「ホテル・カリフォルニア」を待たなければいけない。


 さて、日本の「ニューミュージック」に影響を与えた洋楽バンドはと聞かれれば、私なら、イーグルス、そしてクイーン、ボストンだと答える。


 例えば、70年代後半、バンド化・ロック化していくオフコースのサウンドには、この3つのバンドの影響、すべてが詰まっているように感じるのだが。それはともかくとして。


 先の洋楽3バンドの中でも、イーグルスは、ファッションから思想面まで含む、いわゆる「西海岸ブーム」の中で捉えられた分、影響は、より広く深かったように思うのだ。


 西海岸ブーム──そう、76年創刊する雑誌「POPEYE」(平凡出版、現マガジンハウス)が火をつけた、ウエストコーストだ、サーフィンだ、サンタモニカだ、UCLAだ……という、あのブームの中核をなす音楽として捉えられたのである。


 当時、私の住む東大阪でも、ミナミのアメリカ村にウヨウヨいるような西海岸野郎を見かけるようになった。


 ロングヘアにサングラス、アロハシャツ、ふわっとしたジーパン、たばこはキャメルを吸っているような、まるで伊勢正三みたいな風体の兄ちゃんが現れはじめ、近所の主婦たちから迷惑がられていたのを思い出す。


 そう言えば連中、イーグルスの「テイク・イット・イージー」(72年)を、通りにも響くような大音量で聴いていたよなあ(詳しくは拙著「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」-ブックマン社-を参照されたい)。


 私が「ニセフォルニア」と呼ぶ、日本人が西海岸カルチャーを真似っこするムーブメントが、イーグルスを導火線として、いよいよ盛り上がりつつある頃──。


 さぁ、オフコースから、アリス、浜田省吾、さらには水谷豊の「カリフォルニア・コネクション」(79年)まで、日本の若者がこぞってニセフォルニアする時代がやってくるぞ。


 ロングヘアにサングラス、アロハシャツ、そしてイーグルスのレコードの準備はいいかい?


▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。

早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。ラジオDJとしても活躍中。


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