【増田俊也 口述クロニクル】
写真家・加納典明氏(第24回)
作家・増田俊也氏による新連載スタート。各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。
◇ ◇ ◇
増田「典明さんのお父さまというのはどういう方だったんですか」
加納「近所のおじさんとはちょっと違ってたね。コミュニスト(共産主義者)だったんです。今の自分も、やっぱりそういう父の影響が大きかったと思う。先進的で。『VOGUE』とか、普通の人では手に入れられない当時としてはものすごく珍しい洋雑誌が家にあったりしたからね」
増田「名古屋市内ですよね」
加納「そう。当時は大門の近くに住んでた」
増田「大門というと名古屋駅の裏ですね。中村遊郭の跡とか、あの辺りですね」
加納「そう。下町でね」
※名古屋の大門地区(おおもんちく):名古屋駅西口から歩いて5分ほどのところにある昭和感たっぷりの下町地区で、戦前は中村遊郭として栄えた。その後、商店街などになったがバブル期に多くが潰え、建物だけが残る店が多い。しかしそのレトロな風情から休みの日には町歩きのファンがカメラを手に歩いたりしている。
増田「初恋は何歳くらいのときでしたか」
加納「小学5年のときですね。
増田「小学5年生っていうのはませてますね」
加納「うん。ませてたと思う。もちろんお互い処女と童貞ですよ」
増田「さすがにそうですよね(笑)」
加納「初めてのキスは彼女とですよ。中学2年のとき。『キスしたい』って思って、キスするだけのために手を引いて名古屋から鳴海というところまで名鉄電車にゴトゴト乗って。山の中で初めてキスを体験したんですよ。お互いにドキドキしながら(笑)」
増田「へえ。どんな感想を持ちましたか」
加納「うん。キスしたかったくせに、キスした途端にキスなんて異常なことをさせた相手がすごく汚く見えてね。
増田「それはひどいな(笑)」
法的に2回、結婚式は3回
加納「正月に彼女が着物を着て訪ねてくるじゃない。そのときも心の中では奇麗だなと思っているのに、違和感のほうが強くて『帰れ!』って言ってしまったり。ひねくれていた。照れというか戸惑いというか、素直になれなかった。自分の中の純粋さと性衝動がせめぎあって。あれが性的な成長の始まりだったのかな。性的な成長というのは、精神的な成長でもあるわけだから、若い人には『自分の力で手づくりでやれよ』って言ってやりたいね。アダルトビデオを見てマニュアル的に覚えるものじゃない」
増田「なるほど。それにしても彼女に怒ってしまったというのが面白いですね」
加納「うん。自分にとって一番汚れていない大事な人が、性的な行動に走って汚れてしまう。それは許せない。
増田「男女と恋愛を知り尽くした典明さんならではの面白い考察ですね」
加納「夜中によく電話をしていたんです。彼女からかけてきてくれることが多かったけど『リーン』と鳴ると親が起きてしまうから、電話の前で待っていて『リ』くらいでパッと受話器を上げるわけですよ(笑)」
増田「昭和の若者カップルにありがちですね。僕も似たようなことありました」
加納「うん。あるとき、電話をしていて話が盛り上がって『今すぐ会いたい』ということになった。夏の終わりでしたね。自転車に乗って行きましたよ、彼女の家まで。それから彼女を後ろに乗せて、田んぼのほうへと自転車を走らせて、田んぼのあぜ道の中でセックスしたんです。お尻がスースーしてね(笑)。性的な快楽とか、彼女がどうだったかなんてことはあんまり記憶にないんだけど、ドキドキしたことだけはよく覚えてますよ」
増田「素晴らしい思い出ですね」
加納「それからも関係は続いていって、彼女と結婚しました」
増田「それはすごい!」
加納「私は法的には2回、結婚式は3回してますけど、最初は幼友達と結婚したんですよ。他の女性を知ったのはそれからですね」
増田「意外に真面目な青春時代ですね(笑)」
(第25回につづく=火・木曜掲載)
▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。
▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が好評発売中。