【増田俊也 口述クロニクル】
写真家・加納典明氏(第26回)
作家・増田俊也氏による新連載スタート。各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。
◇ ◇ ◇
増田「70歳すぎくらいまではセックスはしていたと」
加納「うん。そう。してた」
増田「それまでずっと性欲と自分の矛盾を?」
加納「そうだね。相手もいろいろ変わるけども、なんつうんだろう、快楽に対しての1つの軽蔑とは言わないけど、人間というものの1つの本質がそこにあるわけだよね。動物とは違うわけだよ。動物はもちろん快楽を追っかけるんだけど、快楽だけじゃないよね。種の保存だよね。人間がそこで、快楽だけでいろいろやることに対する疑義というか、そういうのはずっとあってね」
増田「読者がずっと見てきた典明さんのイメージと真逆ですよね」
加納「うん。だから、それは、自分でも矛盾はあった」
増田「これが初めて活字になると、みんなびっくりしますよ」
加納「うん。でも『嘘つけコノヤロー』って言われるかもしれないけどね(笑)」
増田「いや、そんなことはないです。でもあそこまで深くエロスとか性について考えてた人が、そういう矛盾も抱えながら思索していたと知ると、読者も見方が変わるんじゃないですか」
加納「そうだね。
増田「そういう反逆精神というのはお父さまや、お母さまから?」
加納「うん。おそらくね」
増田「お父さまはどんなお仕事の方だったんですか」
加納「図案家*。今でいうグラフィックデザイナー。薬の箱の裏に効能とか材料とか書いてあるじゃない。今はもう人の手でなんか書かないけど、ああいうのなんかを書いてた。超小さい字を、面相の細い筆で書いていく。あれはやっぱりすごかったな」
※図案家(ずあんか):江戸時代、戦前、戦後を通じて在野の日本の絵の世界を支えた職業。小説の挿絵を描く者なども含まれ、英語にすればグラフィックデザイナーだが、日本語ではもう少し広い意味を持つ。たとえば竹久夢二なども図案家と呼ばれることがある。
増田「典明さんは子供の頃それを見て育ったと」
父・豊明さんは名古屋で右に出る者がいない図案家
加納「うん、ずっと横で見てた。
増田「反抗してたってことは、典明さんが、中学、高校時代になっても見てたんですか?」
加納「見てた。あそこまで描ける人は名古屋にそうはいなかったと思う。ルーペみたいなものをしながらね。面相の一番細い筆、かなり細い線。それを正確に書いていく」
増田「インクですか」
加納「絵の具だね。今あんなことできる人いないだろうけど、今はメカニックにできるけど、当時はすべて手作業。名古屋で親父の右に出る人いなかったと思う。それくらい凄かった。それを夜、横に座ってじっと見てね。この人、凄いって」
増田「子供って、そうやって親の仕事ぶりを見て成長していくんですよね」
加納「そうだね。結局、俺は写真家として親父を背負ってんだろうね。
増田「声が聞こえてくるんですか?」
加納「うん。写真の仕事をしながら『親父だったらどう見るだろう』『どう言うだろう』って。親父だったら、ここでどういう筆を走らせるだろうっていうのは、やっぱりあるよ。今でもある」
増田「83歳になって親父の声を聞くというのはすごいですね、その影響力というか」
加納「そうだね。ありがたいよね。そういう親父に出会えたのは」
(第27回につづく=火・木曜掲載)
▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。
▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。
(増田俊也/小説家)