【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】#45
1975年の新御三家①郷ひろみ
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今回から3回にわたって、特別編として「1975年の新御三家」について書く。
新御三家。
さて新御三家、まずは、微差ながらもデビューが一番遅かった郷ひろみについて。デビュー曲は「男の子女の子」で1972年8月1日の発売。西城秀樹が「恋する季節」でデビューしてから約4カ月後のことだった。
75年の郷ひろみのシングルは「花のように 鳥のように」「誘われてフラメンコ」「逢えるかもしれない」「バイ・バイ・ベイビー」の4曲。
「バイ・バイ──」は当時、日本でも人気を集め始めていたベイ・シティ・ローラーズのカバーで(原曲はフォー・シーズンズ)、残り3曲はすべて筒美京平の作曲。
しかし作詞陣がバラエティーに富んでいて「誘われてフラメンコ」こそ、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」を生んだ「作詞:橋本淳、作曲:筒美京平」のゴールデンコンビだが、「花のように──」は、藤圭子を育て上げた石坂まさを、そして「逢えるかもしれない」は五木ひろしを育てた山口洋子と、バラエティーがあるというか、一貫性がないというか。
ちなみに「バイ・バイ──」の訳詞は安井かずみで、翌76年秋のシングル「寒い夜明け」の作詞は何と楳図かずお。
先のシングル4曲の中で、1つ選べと言われれば、やはり「誘われてフラメンコ」だろう。
「♪誘われてフーラフーラ 乱されてユーラユーラ」が繰り返される何ともシュールな歌詞は「ザ・橋本淳ワールド」。
郷ひろみとの噛み合わせがいいと思われたのだろう。
中でも、76年発売の「恋の弱味」は傑作中の傑作。私がいちばん好きな筒美京平作品。好き過ぎて、私が選曲した、2021年発売のコンピレーションCD「筒美京平 マイ・コレクション スージー鈴木」には、郷ひろみのオリジナルと近田春夫&ハルヲフォンのカバーの2曲を選曲したほどのベスト・オブ・ベストだ。
橋本淳の言葉と、筒美京平のメロディーに乗って、75年、ジャニーズ事務所を退所した郷ひろみが、弱みなど見せず、本格的に躍動し始める。
▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」「大人のブルーハーツ」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。日刊ゲンダイでの好評連載をまとめた最新刊「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」が好評発売中。