【私の人生を変えた一曲】


 タケカワユキヒデさん
 (ゴダイゴ リードボーカル/72歳)


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「ガンダーラ」「モンキー・マジック」などのメガヒットで知られるグループ「ゴダイゴ」。ボーカルでそのヒット曲の作曲者でもあるタケカワユキヒデさんにとってのこの一曲はビートルズ初の主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)」の中で歌われた「Can't Buy Me Love」。

詳しく伺った。


 僕にとってビートルズとの出会いは1964年、小学校5年の3学期です。3歳上の兄が「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を買ってきてすごい勢いで自慢するわけです。僕もそんなにすごいのかとすぐに聴かせてもらいました。その頃はアメリカンポップスを聴き、坂本九さんの歌なんかを聴いたりしていたから、荒っぽい「抱きしめたい」はなんだかよくわからなかった。


 そのB面に入っていたのはスローな「ジス・ボーイ」ですが、3声コーラスで歌うこの歌はカッコいいなと。それがビートルズの最初のイメージです。


 その64年の、小6になった8月に兄が父親に何か頼みごとをしていた。その時、有楽座(有楽町)で「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」をやってたんですね。兄貴はどうしても見たいから父親に「連れて行ってくれ」とせがんでいたわけです。僕たちが生まれ育ったのは浦和市(現さいたま市)です。当時、子供だけで浦和から有楽町まで行くのはちょっとハードルが高かったですからね。


 それを小耳に挟んだ僕としては行ったら何かいいことがあるんじゃないかと思うわけです。それで一緒に連れて行ってもらった。父親、兄と「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を見ることができました。


 あの映画はドキュメンタリータッチのイギリスのコメディーです。ウイットをちりばめ、ビートルズのメンバーやポール・マッカートニーの祖父といった登場人物がバカバカしいことをやるシーンがいっぱいある。ポールの祖父が舞台の奈落からいきなりステージにせりあがってくる突拍子もないシーンがあって、父親が大声で笑うので、兄貴が「恥ずかしいからやめてくれ」と言ったのを今も記憶しています。


 僕の印象としてはビートルズの曲がよかったというより映画の中の彼らのカッコよさに参りました。ビートルズのことは音楽的にすごいから好きになったんだと思っていたけど、後でよくよく考えたら、アイドルとしてのビートルズにやられちゃったということだったと思います。


 当時、僕はすでに作曲をやっていました。母親の実家は鈴木バイオリン製造という楽器の会社です。音楽を通して人を育てるスズキ・メソードの創始者の鈴木鎮一は僕の大叔父です。小1から楽譜の読み方や書き方を学んでいたので、学校のクラスの歌なんかを作曲したりしていた。

当時、ませてカッコつけだった僕としては音楽じゃなく、アイドルのビートルズに憧れているとは言いたくても言えなかったわけです(笑)。


「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の中では「Can't Buy Me Love」ですね。映画の最後は、コンサートの本番前にリンゴ・スターがポールの祖父にそそのかされて外に散歩に出て大騒ぎになる話になります。劇場内でもメンバーがリンゴを捜すのですが、その途中でメンバーの一人が劇場の非常口のドアをバーンと開けるシーンがある。するとそこは外で螺旋状階段があり、みんなで階段を走って下りて広場で自由に駆け回る。そのドアがパーンと開いた瞬間から流れる曲が「Can't Buy Me Love」。あの曲はイントロがなくて、ドアを開けた途端にいきなり「Can't Buy Me~」と始まる。それも衝撃的で、カッコいいなあと思いました。



中学時代にバンド仲間と20曲マスター。謝恩会で初ライブ

 その頃はまだ僕は小学生だったので、同級生でビートルズをカッコいいと思っている人はそんなにいません。その流れが急に変わるのは中学に入ってから。中1の終わりのころ、同級生からバンドをつくるけど、一緒にやらないかと誘われます。

僕は小学生時代から仲間の間では音楽家として知られていたから(笑)、その僕を誘うのはよほど腕に自信があるんだろうなと最初は思いました。


 ところが、実態は野球部の仲間が中心で楽器なんか弾いたことがないヤツばかり(笑)。練習するのは毎日曜だけど、楽器を持ってないし、曲も弾けない。それで楽器を買うことから始めようということになり、バンドをやろうと言った言い出しっぺに、ギターを買わせたりして楽器を揃えていきました。


 その頃の僕はバイオリンだけでなく独学でギターも弾けたので彼らに教えたけど、僕の教え方では誰も理解ができなくてね。それで嫌になり、最初の頃はみんなでサッカーしたり。それが中2の途中ごろに別の野球部のチームメートがバンドに入って急に雰囲気が変わった。彼は僕と一緒に誘われたらしいけど、ある程度、弾けるようになってから入ろうと思ったそうです。ところが、入ってみたら彼が一番うまかった(笑)。メンバーが伸びたのはそれからです。そのうち曲を最後まで演奏できるようになっていきました。


 そして日本で最初に発売されたアルバム「ビートルズ!」に入っている曲をA面の1曲目からB面最後の14曲目までやろうということになった。

1曲目ができたら2曲目、それができたら次と。A面の最初は「抱きしめたい」。これが結構、難しかった。何カ月もかかってやっとできたように記憶しています。それでもB面の最後の「プリーズ・ミスター・ポストマン」までどうにかクリアしました。


 結局、中学を卒業する時には20曲くらいできるようになっていました。楽器はもちろん、コーラスをつけ、歌で合いの手を入れて。完全コピーです。中学生でそこまでやるのはちょっとおかしいでしょ(笑)。そのうちの90%は僕がベースを弾きながらリードボーカルを取っていました。


 ハイライトは卒業の時の謝恩会です。その時が僕らにとっての初ライブでした。

その頃にはみんなで小遣いを出し合い、月賦でエレキギターなんかも購入、エレキベースと2本のエレキとドラムで編成する本格的なビートルズバンドになっていました。当時、エレキは不良のイメージだから、先生には「エレキじゃなくて、歌を聴いてください」と言って聴いてもらった。先生たちは拍手してくれて、謝恩会で演奏するのを認めてくれた。


 謝恩会でやったのは「No Reply」「Twist and Shout」「Baby it's You」で最後が「She Loves You」の4曲。同級生たちは一曲一曲、すごい拍手をくれた。その頃の僕たちはビートルズになりたかった。だから喜んでもらえて本当にうれしかったですね。



ゴダイゴ7枚目のシングル「ガンダーラ」が大ヒット

 中学2年の時にバンドのメンバーが日本語の歌詞を作ってきて「タケ、英語に訳して曲を作ってみろよ」と言われ、無理やり英語に訳して1曲の半分くらい作ったことがありました。それはそれですごくカッコよかったんだけど、英語が書けるまではちゃんとした曲を作るのは無理だなと思って、それから3年間は曲を書くのを封印していた。


 ところが、高2の4月ごろ、英語の時間に歌詞とメロディーが湧いてきて。授業中に完成させたら、それがすごくいい曲で。それからは授業中に何十曲も書きました。

75年に高校時代からそれまでに書いたたくさんの曲の中から選んで、初めてのソロアルバムを発売、翌76年、アルバム制作中に知り合ったミッキー吉野とゴダイゴを結成、78年に出した7枚目のシングル「ガンダーラ」が大ヒットし、「モンキー・マジック」「ビューティフル・ネーム」「銀河鉄道999」とヒットが続きます。



デビュー50周年記念アルバム「GLORY!」発売

 ゴダイゴは一時、活動を中止しますが、06年からはずっと続けています。


 僕は個人としては今年が活動50周年、ゴダイゴは来年が50周年になります。50周年の記念に新曲を20曲、それを英語詞と日本語詞で録音したので40曲、4枚組CDセット「GLORY!」作りました。英語の歌詞はゴダイゴのヒット曲を書いている奈良橋陽子さんと娘のアイが書いています。日本語は僕です。今の時代のサウンドにも心に染みるメロディーが合うはずだという信念で作った作品群です。アレンジも演奏もミックスもすべて僕一人で作っています。どの曲もビートルズに負けないくらい、カッコいいです。ぜひ、聴いてください。


(聞き手=峯田淳)


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