【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】#46
1975年の新御三家②西城秀樹
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1972年のデビューから4年目を迎えた西城秀樹。すでに大人気となっていたのだが、75年のシングル4曲のラインアップは、個人的には、それほど印象的なものではない。
「この愛のときめき」「恋の暴走」「至上の愛」「白い教会」
印象的なものを強いて挙げれば、2月発売の「この愛のときめき」だろう。サビ「♪どんな風に 愛したら」の「♪たら」にアクセントの付いたメロディーが不思議におかしくて、当時小3のクラスの中で、ネタにしながら、みんなで歌ったのを覚えている。
しかし、シングルがそうであっても、この年の西城秀樹の活動のスケールは大きい。というか、まさにとどまるところを知らないという感じだった。
まず「この愛のときめき」と「恋の暴走」の間に、前年のシングル「傷だらけのローラ」のフランス語版が発売されている。日本では売れなかったものの、カナダのチャートでは何と2位になったという。
また7月には、富士山麓「緑の休暇村」での特設ステージで大規模野外コンサートを開催。タイミング的には、吉田拓郎のつま恋コンサートよりも少しだけ早い。
さらに8月には2度目となる大阪球場コンサート。さらにさらに11月には、日本人単独としては初の日本武道館コンサートを開くのだから、スケールがデカい。デカ過ぎ(ちなみにグループとして初の武道館公演はザ・タイガースの解散コンサート=71年)。
またTBS系「寺内貫太郎一家2」の収録で、小林亜星との乱闘シーン撮影中に腕を骨折したというエピソードも、一種のスケール感の表れといえなくもないだろう。
つまるところ、当時の西城秀樹の持つスケール、エネルギー、フィジカルを、シングル1枚にパッケージングすることなどできなかったのではないだろうか。
しかし翌年「作詞:阿久悠、作曲:三木たかし」というチームが参画することで、事態は一気に展開。「君よ抱かれて熱くなれ」「ジャガー」「若き獅子たち」と、私が今でも覚えているような個性的なシングルを連発することになる。
そして、大人びた愛を歌う「ラスト・シーン」で、西城秀樹は、新たなフェーズへと進み始める。
本人のスケール感と楽曲のスケール感が、少しずつ肩を並べていくことになる。
▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」「大人のブルーハーツ」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。日刊ゲンダイでの好評連載をまとめた最新刊「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」が好評発売中。