【増田俊也 口述クロニクル】
写真家・加納典明氏(第29回)
作家・増田俊也氏による新連載スタート。各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。
◇ ◇ ◇
増田「典明さんは1942年(昭和17年)生まれですからさすがに戦争の記憶はないですよね」
加納「いえいえ。憶えてますよ」
増田「3歳で?」
加納「憶えてる。B-29の音も」
増田「クリエイター特有の早熟ですね……」
加納「防空壕に入ると外からB-29のエンジン音が聞こえてくる。見たくてしょうがないんですよ。だからちょろちょろ防空壕を這い出て見てて、よく怒られました」
増田「かなり記憶が鮮明ですね。名古屋は大門生まれでしたよね。大門の辺りでの空襲ですか」
加納「いや。生まれたのは今のテレビ塔の近くなんです。中区錦3丁目の辺りですよ。いわゆる〝錦3(きんさん)〟ね。それで戦後に大門に移った。
増田「遊郭の跡があって」
加納「そうです。あの辺り。それで、小学校と中学校は地元の普通の公立で、高校行くときに、やっぱり親父の影響があって、デザイン科というか図案科みたいなのがある市工芸(名古屋市立工芸高校)を選んだんです」
増田「名古屋の芸術系高校の名門ですね。僕も名古屋生まれですから知っていますが、昔はかなり人気があって入学が難しかった」
加納「うん。芸術高校が公立であそこくらいで、他になかったからね」
増田「入学後はかなり勉強に力を入れたんですね」
加納「それが適当になっちゃって。入ったはいいけど、親父のやってることを俺、見てるでしょ。だから学校で教えることなんか知れてるわけです。『俺、それ知ってるよ』って感じで。学校の技術的な教育なんて面白くなかった。『全部俺はわかってることだよ』っていう感じで」
増田「じゃあ、授業もあまり聴かず?」
静物撮影用に買ったレタスを巡って兄貴にバットで殴られて
加納「半分はもう昼から学校から出て、街行って遊んでました。よく卒業させてくれたと思います。
増田「高校時代は家で写真撮影とか自分でされたりしてたんですか」
加納「うん。家のなかに手作りのスタジオみたいの作って、いろいろ撮影して自分流に憶えていった。たとえば静物撮影のためにレタスを買ってきて撮ろうとしてね。高2か高3のとき。親父の持っていたアメリカの雑誌にレタスの写真が載ってたのよ。それがすごく良くて、俺も撮ってみようと」
増田「でもレタスっていったら、当時の日本では珍しいんじゃないですか」
加納「そう。超高級品だったの。で、写真撮ってるうちに時間が経って萎れていく」
増田「葉を1枚めくって撮ったと」
加納「いやいや。やっぱりそれでは偽物だから。新しいレタスを買いにいきたいんだけど当時は高級品だし、加納家は貧乏で金がない。それで俺が癇癪起こして大暴れして、物を投げたりして滅茶苦茶になって。
増田「めちゃくちゃですね(笑)」
加納「兄貴が新しいレタスを自分のお小遣いから買ってきてくれた」
増田「へえ。それはいい話だ」
加納「うん。いい兄貴だよ」
(第30回につづく=火・木曜掲載)
▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞など受賞多数。
▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。
(増田俊也/小説家)