【私の秘蔵写真】
寺本圭佑さん(歌手/48歳)
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全国でキャンペーンを行いながら演歌歌手として歌い続けている寺本圭佑さん。その姿につけられたキャッチコピーは「歌の宅配便」。
■僕の曲を聴いて目に涙を浮かべて
学生時代から歌が好きでカラオケ大会などによく出ていたのが歌手になったきっかけです。デビューは2010年。今年で15周年になります。僕は新曲が出ると徹底的に車で全国をキャンペーンで回ります。そうですね、これまで7000、8000カ所くらいは回ったと思います。おかげさまで2021年に出した「望郷本線」や昨年出した「ほおずり」は好評いただいています。
その「ほおずり」を聴いて「いい歌やね」と両目に涙を浮かべてくださったのは大村崑さんです。出会ったのは昨年11月20日の大相撲九州場所。大村さんの大の相撲好きは有名です。
その大村さんが九州場所を見に来るというのである方が私を誘ってくれて、お会いすることができたんです。最初、大村さんは土俵前の溜席の一番前、私は前から3列目で観戦していました。大村さんは力士が出てくるとワーッという感じで声援を送ってらした。
途中、トイレに行きました。すると大村さんもいらして「こんにちは」とその時は挨拶だけ。その後、トイレに行ったら、また大村さんがいらして。その時は「さっき、会うたな」と声をかけてくださった。2度もトイレでお会いするとは。妙な縁を感じました。
印象深かったいかりや長介さん、志村けんさんのエピソード
相撲が終わって改めて紹介していただき、ごはんを一緒にという流れになって、フグを食べながら2時間くらいいろんなお話をしてくださいました。印象深かったのはいかりや長介さんや志村けんさんの話ですね。いかりやさんと面識がなかった頃、コメディアンの世界では「西の大村崑、東のいかりや長介」と言われ、対立しているように思われていたそうです。
ところが、初めて劇場で会って話をしているうちに、誕生日も生まれ年も同じことがわかって、「一緒に頑張ろう」と意気投合したそうです。
そして、その時に下駄番をしていたのが志村さんだった。志村さんは大村さんを慕い、亡くなる直前まで、とくに用事がなくても「師匠、お元気ですか」と電話してきたそうです。大村さんは「彼は腰が低い人やったな」としみじみ話してくれました。
その流れで2次会のカラオケに行くことになりました。そこで大村さんと一緒に歌ったのが「宗右衛門町ブルース」。
それから「あんたの曲、聴かせてくれるか」と言われたので「ほおずり」を歌いました。亡くなった母を偲ぶしみじみとした歌です。大村さんは「いい歌やね。
この世界で生きていくためのアドバイスもしてくださった。「芸能界は厳しい世界だけど、大切なのはとにかく礼儀正しくすること。礼儀だけは忘れたらあかん。人の裏をかこうとか考えるのも絶対にあかん。それだけは言うとくわ」と。
それから「もう年やけど、ワシにやれることがあったら、何でもするから。コンサートがあったら行くから」と言ってくださった。厚かましいとは思いましたが、早速、今年2月1日に地元の奈良でやったコンサートの案内を差し上げました。大村さんは「奈良は遠いなあ」と言いながら来てくださって(笑)。
ステージでのお話もお願いしたら、「時間は何分くらいあるの?」と聞かれたので、「30分くらいなら大丈夫です」と言ったら、「そりゃ、厚かましいわ」と笑ってらした。ステージにあがると、お客さんは大喜びでした。
宝物はビデオメッセージ
大村さんには今年11月のコンサートにも来ていただきます。
話をしているうちにがんの闘病をしながら元気に歌っている先輩の山川豊さんの話になって、「サブちゃん(北島三郎)には何回も声をかけてもらったけど、これまで山川さんと一緒のことはなかったな」という話になり、来年2月1日のコンサートには山川さんにも出ていただくことになりました。
大村さんは10代で片肺を取っているので、若い時から健康にはとくに注意しています。僕が「歌の宅配便」というキャッチフレーズで全国を回っていることを知って「どれくらい回るの?」と聞かれたので、「15周年なので、『ほおずり』のキャンぺーンで全国1500カ所を回ります。今は2カ月で300カ所回りました」と言ったら「そんなんやれんの、すごいね」って。
コンサートの後、大村さんから「あんだけお客さんを喜ばせて、楽しませる人は少ない。体が一番大事だから体を壊さないように。陰ながら応援しています。15周年、バンザイ!」というビデオメッセージを送っていただきました。このビデオメッセージは僕にとっての宝物です。
(聞き手=峯田淳)
▽寺本圭佑(てらもと・けいすけ) 1976年11月、奈良県出身。