8月の歌舞伎座は納涼歌舞伎で3部制。普通の歌舞伎ではないものが2本、上演されている。


 第2部は、坂東玉三郎が主演・演出の新作『火の鳥』。手塚治虫のマンガとは関係なく、オリジナルの作品だ。


 どこの国・どの時代かは明確ではない、ある王国が舞台。病に伏している大王(松本幸四郎)が、息子のヤマヒコ(市川染五郎)とウミヒコ(市川團子)に、永遠の力を持つという伝説の火の鳥を捕らえるよう命じる。2人はいくつもの国を旅し、ついに火の鳥(玉三郎)を見つける。


 すばらしいのは、2人が火の鳥を求めて森や海や山など険しい自然を旅するシーン。スクリーンに自然の映像を投影し、その向こうに2人がいるという、最新技術を駆使してのもので、吉松隆の音楽を含め、リアルかつ幻想的な世界が展開され、見応えがある。


 火の鳥の登場は中盤からで、全身が真っ赤な衣裳。舞台に登場した瞬間から、鳥に見えてしまうのは、指先まで動きが完璧に計算されているからだろう。


 終盤は、火の鳥と大王の、「永遠」をめぐっての問答で、「戦争はいけない」という、当たり前の結論になる。こんな時代だからこそ、そう言いたくなるのは分からなくもないが、セリフでストレートに言うのは、演劇としての敗北ではないのか。脚本はともかく、演出と俳優の力で、見応えのあるものになった。


 第3部は野田秀樹が脚本・演出の『野田版 研辰の討たれ』。2001年に18代目中村勘三郎(当時は勘九郎)主演で初演されたもので、最後の上演が2005年だったので20年ぶり。


 初演時の配役は、研辰が勘九郎、九市郎が染五郎、才次郎が勘太郎で、今回も同じ。といっても、みな一世代若くなった。父親が20年前に演じた役を、いまの勘九郎・染五郎・勘太郎が演じることが、ひとつの見どころ。これは歌舞伎ならではだ。


 もともと完成度の高い脚本なので、大きな改変はないと思う。ギャグも20年前のままで、はたしていまの若い観客に分かるかどうかというのもあった。


 20年前に、今日のSNS社会を予見していたことが、改めて分かる。仇討ちを見物したい人々の群集心理の恐ろしさは、見事なまでにリアルに感じられ、20年前は笑えたが、いまは笑えない。


 20年前の染五郎(現・幸四郎)は勘三郎の世界に溶け込んでいたが、今回の染五郎は、勘九郎との共演機会が少ないせいもあってか、最後まで異質。2人は敵味方なので、その理解し合えない関係性が、結果的によく出ていた。

その分、舞台からは20年前にあった熱狂は薄まって、クールな空気感。それゆえに、この芝居が、救いのない物語なのだと突きつけてくる。これを笑って見ていた時代は、もう戻らない。


(作家・中川右介)


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