【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】#67
1975年の歌番組③夜のヒットスタジオ
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日本テレビ系の「NTV紅白歌のベストテン」「スター誕生!」に対して、フジテレビ系を代表する歌番組といえば、「夜のヒットスタジオ」(夜ヒット)。
1968年に始まり、タイトルを微修正しながら、時間帯も変えながら90年まで続いた長寿番組である。
75年の段階では、月曜夜10時からの枠で、司会は三波伸介と芳村真理(加えて3月までは朝丘雪路)だったという--。
申し訳ありません。この時期、小3だった私に夜10時は、ちょっと深過ぎてあまり記憶がないのです。
記憶にあるのは、その後、司会が「井上順・芳村真理」となった70年代後半から。この「順・真理」時代の夜ヒットは、最近CS「フジテレビTWO」で再放送しているので、欠かさず見ているのだが。
というわけで今回は、趣向を変えて、夜ヒットを巡る「事件」に関する意外な真実を2つ、ご紹介したいと思う。
1つは、75年のさらに前、73年に「共産党バンザイ」とオンエア中に言った前田武彦(マエタケ)が干されたと言われる事件だ。
実はこれ、まったくのデマではないものの、かなりの尾ヒレが付いていた。マエタケは実は「共産党バンザイ」と言っていなかったのだ。
FRIDAYデジタルに寄せられた細田昌志の連載記事(21年10月12日)によると、前田武彦は、共産党の候補者の応援演説で「当選したら、月曜の生放送でバンザイを言います」とは確かに言ったという。
しかし、放送の中では、ゲストだった鶴岡雅義と東京ロマンチカのボーカル、三條正人に「お疲れさま、バンザーイ」と言っただけ。
でも、それが面白おかしく雑誌で取り上げられ、記事を目にした当時のフジテレビ社長が激怒、前田武彦を降ろす。
もう1つは夜ヒットの派生番組「ヒットスタジオR&N」(89年10月13日)における、忌野清志郎の放送禁止用語連発事件である。私はこれをリアルタイムで見た。きっちり録画もした。
昨年末にフジテレビで放送された「拝啓!ザ・タイマーズ~あれから35年~」の中で、この事件に関する驚くべき事実が明かされたのだ--実は、あのオンエアは生放送ではなく、事前収録だった!
ということは、放送禁止用語を歌ったのを知りながら、スタッフは確信犯として、そのままオンエアしたことになる。
夜ヒット──何かと物騒で、そして面白い歌番組だった。
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▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。