【増田俊也 口述クロニクル】#38
作家・増田俊也氏による新連載スタート。各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。
◇ ◇ ◇
加納「たしかにね、馬にはわかったのかもしれない。『このまま加納さんがここにいたらカメラを持たなくなってしまう』って。たしかにそんな感じだったかもしれない」
増田「そこを馬たちに救われたと」
加納「もちろん本当の意味で救ってくれたのは山口百恵だよ。でも馬の転倒がなけりゃ、後の俺はいなかったと思う。時間が空きすぎて撮影現場に戻れなかった」
増田「そこで例の伝説の山口百恵撮影に入ります。あの沖縄での撮影は、ある意味で篠山紀信さんとの競作だったわけですよね」
加納「そう。どっちがいいの撮れるか、勝負だった」
増田「典明さんが月刊プレイボーイでしたね。篠山さんは別の雑誌で。1日ずつ撮ることになったと」
加納「そうそう」
増田「ガードが凄かったんじゃないですか。だって彼女の全盛時代ですよね。あの頃のアイドルは今の物差しでは測れないスーパートップじゃないですか」
加納「全盛も全盛。
増田「よくまあ、あそこまで乳首を見せましたね。見せたわけではないにしても、完全にわかる写真ですものね。当時あんなのありえなかった。当時のアイドルは殿上人だったから」
加納「そんなのよく撮らせたなと思うし掲載できたなと思う」
増田「彼女の魅力が内から滲んで滴ってましたからね。あれ見たら『加納にやられちゃったよ』って篠山さんが負けを認めたっていうのは仕方ない。年齢的には典明さんと?」
加納「荒木とお篠は1940年生まれの同い年で俺の1学年上。 だから年齢的には3人ほぼ同じ」
※篠山紀信と荒木経惟(しのやまきしん/あらきのぶよし=アラーキー):加納典明と同時代に活躍したトップ写真家。女性のグラビア写真を主戦場としたライバル。篠山はふわりとした作風でアイドルや大女優のここぞというときのヌードを美しく仕上げ、逆にアラーキーは庶民を撮影するような作風でアイドルの裸を読者の眼線にまで持ってきて世間を騒がせた。
増田「まさに同時代の宿命のライバルですね」
加納「そのとおりだね」
増田「才能ってことで言えば、典明さんからご覧になって、アラーキーさんと篠山さんと較べたらどちらが上だと思いますか」
一点突破で実際に突破した
加納「 いやあ(と首を捻って)上下はつけられないな。どっちも俺は認めてるよ。荒木は荒木の世界を持っているし、お篠はお篠の世界を持ってるから」
増田「なるほど」
加納「技術的にいえば、荒木は電通にいたけど、お篠も広告写真撮ってきてるから、しっかり基礎がありますね。
増田「その会社時代に基礎を作ったと」
加納「日本の広告表現でトップのとこなんだよ。優れたグラフィックデザイナーとかもいっぱい出るところで、そういうやつらに揉まれて才能がグンと伸びたんだろうね。そこでトップモデルや有名人の写真を大量に撮影して。やっぱり金を使うところは要求も厳しいから鍛えられたと思う」
増田「やはり基礎が大切なんですね」
加納「荒木に関しては俺自身は彼がどんな広告写真を撮っていたのかは見たことがないけど、後の写真を見ると技術が確かにある。でもそういった技術を誇示せずに撮った写真がウケたんじゃないかな」
増田「なるほど」
加納「二人ともしっかりした基礎の上に彼らが持っていた圧倒的な才能が加わってバケモノになっていったんじゃないかな」
増田「篠山さんはフリーになってから、有名人を中心に撮っていきますが、やっぱり上昇志向みたいなのがあったってことでしょうか?」
加納「何をやれば世に出られるかということはよく知ってただろうね。そこを一点突破で、実際に突破してみせた。そういう意味ですごいやつだよ。誰だって世に出たいわけだから。そんなカメラマンは日本中に何十万人何百万人もいるわけだから。そこから本当に出てきたっていうのは、やっぱり能力があるからなんだよ」
(第39回につづく=火・木曜掲載)
▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。
▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。