8月20日放送の「太田光のテレビの向こうで」(BSフジ)で、爆笑問題の太田光と今年芸能生活40周年を迎えた中山秀征との初対談が実現した。
ほぼ同世代でデビュー年も近いふたりは、早い段階で1980年代中盤のお笑い界に焦点を当てる。
時代は、ツービート、B&B、ザ・ぼんち、島田紳助・松本竜介ら若手コンビがブレークした“漫才ブーム”の直後だ。当時のマネジャーから「お笑いを極めていったら、やりたい芝居と歌は絶対できるから」と説得され、中山はネタやダンス、トークの稽古に励むようになったという。
対する太田は、こうした育成期間を挟まず我流でネタを作り、コント赤信号のリーダー・渡辺正行主催の「ラ・ママ新人コント大会」で相方の田中裕二と初舞台を踏んだ。「BIG THURSDAY」が事務所主催のライブである一方で、「ラ・ママ」は86年に所属事務所やプロ・アマを問わないライブとして始まっている。こうした出所の違いも興味深い。
■往年のバラエティーが姿を消した歯がゆさ
その後、中山はハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズの流れをくむタレント、太田は毒気とアカデミックな一面を兼ね備えたビートたけしに続くお笑い芸人として活躍。全く違う個性と道筋で、おのおののポジションを確立していった。
とはいえ、ふたりには大きな共通点がある。それは、幼少期にザ・ピーナッツとクレージーキャッツがメインの「シャボン玉ホリデー」、思春期にタモリ司会の「今夜は最高!」(ともに日本テレビ系)に魅了され、いつかそんな“歌あり、コントあり、トークありのバラエティー”をやりたいと夢見ていたことだ。
クレージーキャッツの植木等から「あとは任したぞ」と託された中山は、当時のバラエティーを知らない世代が増えていることもあり、「(その夢を)灯火でもいいから点けとかなきゃいけない」という使命感を抱いている。
一方の太田は、ビートたけしらの登場によって、テレビが作り込まれたものからフリートーク中心のバラエティーにシフトし、自身の価値観も一変したとたびたび語っている。
前回放送のナイツ・塙宣之との対談では、それゆえに往年のバラエティーが姿を消した歯がゆさも感じているようで「もっと別のやり方があったんじゃないか」と口にしていた。
番組の最後、中山が「太田さん、俺たちのテレビをやりましょうよ」と声を掛けていたのが印象深い。SNSや動画配信サービスが全盛の時代、彼らの夢が実現する日はくるのか。今後のふたりの動きにも注目したい。
(鈴木旭/お笑い研究家)