今月4日に肺炎で亡くなった歌手、橋幸夫さん(享年82)の葬儀告別式が10日、東京都文京区の無量山傳通院で営まれ、涙雨の中、約600人ものファンや関係者が参列し、出棺の際に橋さんが吉永小百合とのデュエットで大ヒットした「いつでも夢を」を歌い、橋さんを見送った。


 橋さんは17歳の時のデビュー曲「潮来笠」が爆発的ヒットとなり、発売から9カ月後、浅草国際劇場でのワンマンショーは連日7万人を動員し、機動隊が人員整理に出場したことで知られている。

その人気はすさまじく、19歳の橋さんが17歳の吉永小百合とデュエットした「いつでも夢を」は累計260万枚の大ヒット。1962年(昭和37年)の発売から60年以上経った今も歌い継がれ、2006年(平成18年)に文化庁とPTA全国協議会が「日本の歌百選」に選定され、2013年上期のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」では挿入歌として流れ、リバイバルヒットとなった。


 吉永は追悼コメントのなかで、「二人で歌った『いつでも夢を』は私の宝物です。橋さん、ありがとうございました」とコメントしている。



「彼女と行った海外旅行は忘れられない思い出だなあ」

 レコード会社出身の芸能関係者が振り返る。


「『いつでも夢を』で、お二人の爽やかな歌声は日本中の人びとの心をとらえましたが、超多忙な二人だけに、スケジュールが合わず、レコーディングは別々に吹き込んだ多重録音だったことも語り継がれています。『二人で歌った』とは、この年の第4回日本レコード大賞を受賞した際のステージかも知れませんね。ほとんど、ぶっつけ本番にもかかわらず、純白スーツとピンクのドレスで並び、堂々と歌いきった姿は今も鮮明に、同世代を生きたファンらの胸に輝いているのでしょう」


 この歌の大ヒットを受け、橋さんと吉永が共演の映画映画「いつでも夢を」(野村孝監督)が63年に公開となり、高度成長期の工場地帯で貧しいながらも懸命に生きる若者たちの青春物語を演じた。


 橋さんは日刊ゲンダイ連載の「歌とともに笑って泣いて」で06年にこう振り返っている。


《小百合ちゃんとのデュエットはこの後も、『若い東京の屋根の下』『そこは青い空だった」』とか6曲出しましたが、その間に彼女と行った海外旅行は忘れられない思い出だなあ。といえば、『えっ!』と驚かれるかもしれないけど、あれは多分、『いつでも夢を』のレコード大賞受賞のご褒美だったと思う。3泊4日の香港旅行。

あの忙しいさなかにまったく仕事抜きの、いわばプライベート旅行でした。もっとも、それぞれのマネジャーはくっついてきてましたけど。》



「小百合ちゃんにちょっとしたイタズラをしかけてみたりして」

《それでも、僕は有頂天。小百合ちゃんにちょっとしたイタズラをしかけてみたりして。部屋から、彼女に電話を入れ、いきなりめちゃくちゃな中国語を浴びせかけた。彼女、大慌てで『What?』『ホワッツ?』って。このあたり英語で応答するところはさすがでしたが、そのうちたまりかねて『分からない。いったい誰かしら?』と日本語でブツブツつぶやいてる。で、『何言ってんだ、僕だよ、僕』と打ち明けると、『な~んだ、橋さんなの』って。まだお互い10代、可愛いものでしょう。それにしても今だったら、「橋幸夫と吉永小百合 海外デート」なんて芸能マスコミの格好のネタになってたでしょうね。悠長な時代でした》


 あまたの流行歌が街を彩った昭和は遠くなりにけり。

だが青春の思い出は、「いつでも夢を」のメロディーと共にいつでも甦ってくる。「橋さん、ありがとう」「お疲れ様」と、声が飛び交っていた。


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