【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】#102


 1975年のラジオ界


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 今回は特別編「1975年のラジオ界」。小3の私が、兄貴との相部屋にあった小さなラジカセで、おそるおそる阪神戦の中継などを聴き始めた年。

つまり私のラジオデビューイヤーでもあったのだ。


 ただ、ここですでに書いた「テレビ界」と異なり、ラジオ界は地域や時間帯によって千差万別なので、ここでは、ある代表的な全国ネット深夜番組に絞って話を進める。ニッポン放送「オールナイトニッポン」である。


 私は今、ニッポン放送公式サイトからダウンロードした75年のパーソナリティーの変遷表を見ながら、感慨にふけっている。以下は、その表からの抜粋。パーソナリティーが年内に交代した場合は「→」でつなぐ。まずはウイークデーの第1部(午前1~3時)


▼月:吉田拓郎→泉谷しげる


▼火:諸口あきら→高信太郎→小林麻美


▼水:イルカ→田畑達志


▼木:湯浅明→南こうせつ


▼金:いずみ朱子→武田鉄矢


 説明が必要な人物もいるが、各自検索されたい。


 それにしても「ザ・ニューミュージック」な面々である。ちなみに吉田拓郎は、当時の3大深夜番組「オールナイトニッポン」「パックインミュージック」「セイ!ヤング」すべてでパーソナリティーを務めた唯一の人物でもある。


 続いて第2部(午前3~5時)には、山田パンダ(月曜)や、金曜には糸居五郎の名前もあるのだが、気になったのは「カッコマン」なる存在だ。7月から木曜2部、10月から水曜2部を担当している謎のパーソナリティー。これ、調べてみたら、若き日の音楽評論家・伊藤政則のようだ。

ちなみに翌年からの水曜2部は、そのカッコマンを継いで、山下達郎が担当する。


 さて、残る土曜日は、1部2部制ではなく、4時間まるごとの編成だった。前年74年の7月から土曜を担当しはじめたのが、そう、笑福亭鶴光。それから85年の9月まで、足かけ11年間、土曜深夜に4時間しゃべり倒すこととなる。


 最後に。オールナイトニッポンといえばビートたけしという人が多いだろう。81年の元日深夜スタート、こちらは90年いっぱいまで、まるまる9年間続くのだが、実は、笑福亭鶴光とビートたけしは誕生日が同じ「1月18日」なのだ。生年はたけし(47年)が鶴光(48年)より1年早いのだが。


 つまりオールナイトニッポン、ひいては日本の深夜ラジオの歴史は「1月18日生まれ」によって培われたのである。


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▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。

早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。最新刊「日本ポップス史 1966-2023: あの音楽家の何がすごかったのか」が11月に発売予定。ラジオDJとしても活躍中。


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