世界の製造業では、経営者の高齢化や人手不足を背景に、技術を持つ工場が事業を続けられない問題が広がっている。部品メーカーが一社止まれば、完成品をつくる大企業の生産にも影響が及ぶ。
事業承継は経営者一族だけの課題ではない。顧客への供給、地域の雇用、現場に蓄積された技術を誰が引き受けるかという、産業全体の問題である。

その問いに、池田昌起氏は後継者として準備された立場から答えたわけではなかった。高校を中退し、19歳の時、自動車学校で知り合った友人に仕事を紹介されたことから金属加工の現場へ入った。経営者一族との縁ではなく、一人の従業員として始まったキャリアである。

入社から約3年後、当時の会社は事業継続が難しくなり、別会社が工場と仕事を引き継いだ。池田氏も再雇用され、設備を動かすだけでなく、作業者が負担なく生産できる工程や、取引先が求めるコスト改善まで考えるようになった。顧客と一緒に現場を変えた経験が、その後の経営判断の土台になる。

25歳の頃、工場長の死去を受けて後任を任された。年上の熟練者や外国人従業員をまとめ、納期と品質にも責任を負う立場である。若さを理由に反発される場面もあったが、現場へ出る回数を増やし、社員の言葉を聞き、取引先との改善活動を重ねた。肩書より先に、仕事で信頼を得なければならなかった。


約6年間工場長を務めた後、親会社は別拠点へ生産を集約する方針を決めた。ロボット生産に向く製品だけを移し、採算の合いにくい部品を取引先へ返す案も示された。しかし、長く供給してきた部品を突然止めれば、顧客へ迷惑をかける。池田氏には、その責任を途中で手放せないという思いがあった。

供給を止めないために選んだのが、工場へ残る道だった。以前に「橘」の経営を担っていた高齢の前任者とともに事業を再開し、現在の法人は2011年に設立、2023年に橘金属工業株式会社へ社名変更した。会社を所有することが目的ではない。働く仲間と設備を残し、取引先への約束を守るための選択だった。

決断の直後から、経営の現実が押し寄せた。再出発した会社には十分な資金がなく、池田氏は工場を動かしながら紹介先を回り、見よう見まねで事業計画をつくった。昼は生産し、空いた時間は金策へ動く。そうした日々を重ね、2016年10月、34歳で代表取締役へ就任した。


当時の会社は債務超過にあり、社会保険料の滞納も抱え、銀行から新しい融資を受けにくい状況だった。そこで再建を支えたのが、19歳から築いてきた周囲との関係である。鉄くずを買い取る事業者が資金面で協力し、取引先の担当者は仕事を回せるようにすると励ました。返済計画を示し、約束どおり返し続けた履歴が、最も苦しい時に支援を引き出す信用となった。

受けた支援へ応える方法は、現場を止めず、利益を残すことだった。新規受注を増やし、毎年利益を積み上げた結果、池田氏によると約7年をかけて2023年に債務超過を解消。2019年頃から始まった直接取引も広がり、2025年には主要商流を一本化した。現在は黒字を確保しながら、ロボット導入など次の投資へ進んでいる。

ただし、この再建を池田氏一人の英雄物語として描くのは正確ではない。資金を支えた事業者、仕事をつないだ取引先、現場を守った従業員がいたから会社は残った。同時に、その支援を受けられた背景には、池田氏が長年にわたり約束を守ってきた事実がある。周囲の力と本人の信用が結びついたことに、再建の本質がある。


現在は、自らの経験と会社をメディアで発信している。大手企業と給与だけで競うのではなく、「池田と働きたい」「この会社で技術を身につけたい」と思ってもらえる採用につなげるためだ。さらに、債務超過からの再建や現場運営で得た判断を、同じ悩みを抱える製造業経営者へ伝えるコミュニティも構想する。

池田氏が次の経営者へ渡せるのは、家業を受け継いだ肩書ではない。従業員、工場長、実質的な経営担当、社長というすべての立場で、資金がない時の判断や供給責任を学んできた。その経験は、今後、M&Aによって別の製造会社を迎える際にも生かされるだろう。

取材を通じ、会社再建の本質は、一度の大胆な策ではなく、約束を守り、利益を積み、信用を少しずつ戻す時間にあると感じた。池田氏が自らの経験を次の製造業経営者へどう手渡し、再建した会社をどこまで成長させるのか。その歩みを見届けたい。

【その他の写真:金属プレス加工と次世代の製造体制を進める橘金属工業】
【取材/執筆:Y.U】
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