【その他の写真:署名活動をする在日ミャンマー人。
ミャンマーでクーデターが起きた(2021年2月1日)。アウンサン・スーチー女史が中心的に国政を進めるようになってから、国際的イメージの好感度は上がっていたはずだった。しかし、その裏で、国軍の不満や国民の考え方の違いなどいろんな問題が起き、収拾がつかなくなるくらいの状態になっていたとも言える。
ミャンマーは1948年にイギリスから独立した。その後タガが外れたように内戦が続き、62年から約半世紀の間閉鎖的な軍事政権が続いた。ビルマという国名だった時代だ。
ミャンマーの大統領の生年月日は、国家秘密だ。政府要人の生年月日も同様。それは、まだ誕生日によって黒魔術をかけられると言った思想が、現代においても残っている証拠でもある。
国際的には「できる女性である」スーチー女史に対して好意的な感情を抱いている国民ばかりではない。情報統制や、自分への権力集中などを行っている。
ミャンマーには、少数民族がいる。その少数民族武力勢力との和平も遅々として進まなかった。それは、スーチー女史が、イエスマンばかりで周囲を固めたせいだとも言われている。
ミャンマーの憲法下では、国家危急時には、国軍総司令官が全権を掌握することになっている。スーチー女史は、ガンジーを信奉する非暴力主義なので、当然軍隊には反対のスタンスだ。今回のクーデターでは蚊帳の外だ。
国際的な経済的制裁が、往々にしてクーデター鎮圧につながることもある。
内戦が激化して、アメリカと中国が代理戦争を行ってミャンマー国土が灰燼になれば、ゼロから国づくりができると希望している国民がいるくらいの酷い状況がある。
新たある「国民の支持を一身に受ける」指導者の登場がない限り、この時代に内戦は続く。少数民族がそれぞれの主張をしている。折り合いを付けられるのは、もうスーチー女史でない事だけは確かの様だ。今となっては彼女はイメージレディとしての存在だけだったのかもしれない。
【編集:fa】