(ヴォーグ・ジャパンに掲載された写真から引用 イラストby龍女)
取り上げるのは、現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でいよいよ彼女が演じた北条時政(坂東彌十郎)の後妻牧の方(ドラマ上の名は「りく」)が起こした牧氏事件で、夫妻共々鎌倉から追放されるからだ。
おそらく第38回で本編での出番はなくなる。
今回は「りく」役におそらく繋がったであろう、9年前に宮沢りえが三谷幸喜を救ったある事件について、詳しく振り返っていきたい。
宮沢りえは、10代の頃に三井のリハウスのCMで初代リハウスガールこと白鳥麗子を演じたデビュー当時以降、スター俳優として様々なジャンルで数々の伝説を作ってきた。
大河ドラマと同じ時代劇の過去出演歴で言うと、前田利家とマツの実子で豊臣秀吉の養女になり、秀吉の猶子宇喜多秀家の妻になった女性を演じた映画『豪姫』(1992年)。
『たそがれ清兵衛』(2003年)では、主人公の「たそがれ清兵衛」こと井口清兵衛が(真田広之)が思い寄せる幼なじみの女性飯沼朋江を演じて、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞した。
大河ドラマ『江~姫たちの戦国~ 』(2011年)で主人公の江(上野樹里)の姉、茶々こと淀君を演じて、主役はこっちでは?とドラマの構成としては大きなミスの原因になった大役を演じた。
間違いなく日本を代表する大物俳優の一人だ。
取り上げる話は2014年に現代劇の『紙の月』で2度目の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得する直前で、アラフォーの脂がのりきった時期の出来事である。
今回語りたいのは、彼女が舞台の世界で作った伝説である。
宮沢りえの俳優としてのポテンシャルとは何だったのか?
よく分かるお話である。
それは、2013年の4月9日~5月12日まで東京芸術劇場プレイハウスにて上演された舞台
『おのれナポレオン』で起こった出来事である。
東京芸術劇場とは、池袋駅の西口にある総合芸術文化施設である。
1990年に出来たが、この時は単なる貸し劇場のような状態であったらしい。
2011年のリニューアルに向けて、2009年にようやく芸術監督がおかれた。
初代芸術監督に就任したのが、劇作家・演出家・俳優の野田秀樹(1955年12月20日生れ)である。

(野田秀樹 イラストby龍女)
東大在学中の1976年に学生劇団を母体に劇団夢の遊眠社を立ち上げた。
70年代後半から80年代の小劇団ブームの一翼を担った。
劇団は1992年に解散した。
1年間の文化庁芸術家在外研修制度によるイギリスへの演劇留学を経て、1993年に演劇企画制作会社野田地図(NODA MAP)を設立した。
さて、この企画が立ち上がったきっかけは野田秀樹が珍しくテレビドラマに出演した作品である。
三谷幸喜が脚本を手がけた初めての大河ドラマ『新選組!』(2004年)で勝海舟役を演じた。
野田秀樹が自らの作演出の舞台以外で初めて俳優のみに徹することにした。
その舞台が三谷幸喜脚本・演出の『おのれナポレオン』だった。
内容は、ナポレオン・ボナパルト(1769年~1821年)の最晩年、セント・ヘレナ島に流罪になり、そこで亡くなるまでの死の真相に迫る物語である。
配役は
ナポレオン・ボナパルト(フランス帝国の元皇帝) 野田秀樹
アルヴィーヌ・モントロン(ナポレオンの家臣の妻。ナポレオンの愛人) 天海祐希
シャルル・モントロン(ナポレオンの家臣) 山本耕史
ハドソン・ロウ(イギリス軍人。セントヘレナ総督) 内野聖陽
である。

(三谷幸喜演出脚本の舞台『おのれナポレオン』の制作発表記者会見の写真から引用。
左から三谷幸喜・天海祐希・野田秀樹・内野聖陽・山本耕史 イラストby龍女)
三谷幸喜は俳優に合わせて、当て書きをする。
当て書きとは、事前に脚本の中で、演じる俳優のイメージに合った台詞を考えるやり方である。
実際のナポレオンは小柄で才気溢れる人物で、陣頭指揮にたって軍を率いたことで部下からの支持を得て出世していった。
このやり方は、演劇界では誰かに似ていないか?
その姿がまるで野田秀樹だ。
演出家野田秀樹にとって、俳優としての自身は使いやすいハズだ。
最も演出意図を理解しているので、野田秀樹の演じ方に他の俳優はついて行けばいい。
相手役のアルヴィーヌを演じたのが、天海祐希(1967年8月8日生れ)である。
イラストからも分かるように小柄な野田秀樹は対して、すがりついてくる171cmの天海祐希に対して
ナポレオン 「でけーな」
と返すシーンがあったそうだ。
ところが思わぬ事態が起こった。
事件の詳細は公式サイトによると
5月6日(月・祝)14時からの公演終了後、体調不良のため病院にかかり、検査の結果、軽い心筋梗塞の症状であることが判明しました。
しばらく安静が必要との医師判断により、降板やむなきこととなりました
今後の公演ですが、天海さんの演じられたアルヴィーヌ役の代役を、宮沢りえさんにお引き受け頂くこととなりました。宮沢さんの勇気あるご英断に、心から感謝申し上げます
とのことである。
天海祐希が発症した心筋梗塞とは、心筋と呼ばれる心臓を繋ぐ動脈の壁にコレステロールなどがこびりついて血管をつまらせる病気である。
酷い場合は死に至る病気なので軽度とはいえ、ドクターストップで降板せざるを得ない事態に陥ったのである。
公演中止か代役を立てるにしても、時間が無い。
それぞれの台詞は演じる俳優を合わせて書いている。
代役を立てると言うことは、単に宮沢りえが台詞を覚えるだけではなく、三谷幸喜も彼女に合わせて一部台詞を変えなければならないという作業が行われることになった。
例えば、さっき引用したアルヴィーヌがすがるシーンでは
ナポレオン「これ見よがしに胸を強調するな」

(ドラマ『協奏曲』の宮沢りえ イラストby龍女)
と宮沢りえに合わせて変更されている。
台詞を覚える時間をどうしたら良いか?
そこで決まったのは、2日間の休演で、千秋楽までの4回で演じる事になった。
それを生かした自虐的な台詞も加わった。
宮沢版ではナポレオンにモリエールの劇中劇をアルヴィーヌとモントロンが演じるというシーンで、
アルヴィーヌ 「練習しましょう!セリフは入ってるの?」
モントロン 「お前に言われたかねーよ!」
では何故、宮沢りえはこんな無茶な代役を引き受けることになったのだろうか?
宮沢りえは舞台俳優としては、野田秀樹の作品の常連であったのだ。
2013年までの出演作とは
透明人間の蒸気(2004年、作・演出)
ロープ(2006年 - 2007年、作・演出)
パイパー(2009年、以下無記は演出のみ)
ザ・キャラクター(2010年)
THE BEE-日本語版-(2012年)
と5作品である。
宮沢りえは三谷作品とは縁が無かったが、野田秀樹とは私生活の相談などもしていた恩師のような存在であったそうだから、引き受けたに違いない。
交友関係のある俳優が出演すると、その舞台を観に行く事は往々にしてある。その為にスケジュールを空けることにしたとか、様々な要因が偶然に重なったお陰だろう。
東京芸術劇場HPには、天海祐希が降板したことにかんして、野田秀樹と三谷幸喜のコメントが掲載された。
野田秀樹 コメント
3ステージ中止となった為に、ご観劇予定であったお客様には、心よりお詫び申し上げます。
天海祐希さんには、まだまだこれから長い役者人生がありますので、何卒みなさまご理解下さいませ。
そして、宮沢りえさんの、わずか二日間での稽古で舞台に立つことを英断してくれた男らしさに感謝します。宮沢さんのおかげで上演できることになった残り4ステージに魂を込めて演じさせていただきます。
三谷幸喜 コメント
僕に出来ることは何だろうか、と考えました。
天海さんと、必ずまた舞台をやること。
宮沢さんに、今回のお礼に芝居を書くこと。
ご迷惑を掛けたお客さまに喜んで頂ける作品にすること。
心筋梗塞にならないこと。それくらいしか思いつきません。
厳密なツッコミをするならば、
「まだ芝居(演劇のこと)書いてないやん!」
と言いたくなってしまうが、今回の『鎌倉殿の13人』で演じた「りく」は権力者に魅入られた女性という意味では、アルヴィーヌ・モントロンと共通した役柄である。
三谷幸喜なりにこの役を宮沢りえに当てたことは美談ではなく大きな借りを返した行為であった。
演じることが好きでなければ、俳優という仕事は過酷である。
しかし命あっての物種なので、天海祐希は次の機会を待つことになった。
天海祐希と三谷幸喜の舞台は『子供の事情』(2017年、新国立劇場 中劇場)で実現した。
宮沢りえはこれまで数々の仕事で、優れた先輩達に可愛がられることで役に恵まれてきた。
「りく」とは板東武者の頂点に立った北条氏の長者北条時政の後妻である。
時政を演じる坂東彌十郎は、りくが可愛くて仕方ないオヤジを表現していた。
それは元々宮沢りえが10代の頃かつてとんねるずやビートたけしに可愛がられて、一緒にバラエティ番組で仕事をしていたのと何ら変わっていない。
次に彼女は誰と一緒に仕事をしたくなるような事をしでかすのか?
これからの楽しみも増えてきた。
参考文献:ブログ2013年05月12日付 『マレエモンテの日々』
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