戦国時代に活躍した島津義弘で思いつくのは関ヶ原の戦いで見せた関ヶ原の退き口や圧倒的な武勇だと思います。

そのおかげで日本では鬼島津と恐れられ、海外では文禄・慶長の役の時に朝鮮・明軍から鬼石曼子(グイシーマンズ、鬼島津の意味)と恐れられてきました。


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仙巌園正門/Wikipediaより

そのような背景があってか福島正則を始め多くの戦国武将から尊敬された義弘にはもはやギャップといってもいい程、猫が大好きでした。今回は義弘と猫の関係を紹介します。

■猫と共に従軍した義弘

義弘が猫と共に戦場を駆け抜けたのは文禄・慶長の役のことです。猫を戦場に連れていったのは、ただ癒しのためではなく時間を計るためでした。

義弘は明るい所では細くなり、暗いところでは丸くなる猫の目の特性を利用していたそうです。海外の慣れない環境での戦は猫の手も借りないと勝てない過酷さだったことが窺えます。

それは猫も同じで7匹引き連れていった猫のうち、無事に日本に帰ることができたのはたったの2匹でした。

猫にとっても慣れない環境は非常にストレスだったと思います。2匹の名前もわかっていて、ヤスとミケだそうです。

特にヤスは義弘の次男、島津久保(しまづひさやす)が非常に可愛がっていました。自分の名前の一部を猫に名付けたのだから、相当猫を可愛がっていたことが窺えます。

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ヤス猫(茶トラ猫)

ヤスは茶トラの猫で、これ以来鹿児島では茶トラの猫をヤス猫と呼ぶようになったとされています。


■猫のために神社を作る愛しっぷり

日本に帰ってきた義弘は、共に帰ってきた2匹の猫を猫神として祀ることにします。義弘は日本で唯一猫を祀った人物であり、祀った猫は今でも『猫神神社』として親しまれています。

猫神神社は鹿児島市にある島津家の別邸跡、仙巌園(せんがんえん)にあるので旅行の際に一度見てみるのもいいですね。

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仙巌園正門/Wikipediaより

■最後に

自分を助けてくれたら、動物にも恩義を返そうとする義弘の器量の大きさがわかる一面を紹介しました。こういう一面があるからこそ、義弘は人気の戦国武将の1人になっていると考えてしまいます。

人も動物も大切にできる人が誰からも好かれる人になれると義弘を見て思いました。

参考:桐野作人著『猫の日本史』

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