力学の基本モデルとして小学校のころ、図工の時間に竹串とコルクで色んな形に作って楽しんだ記憶があります。
倒れそうで倒れない、ユーモラスな動きが強く印象に残るこの弥次郎兵衛ですが、そのネーミングはどこから来たのでしょうか。
■名前のルーツは十返舎一九『東海道中膝栗毛』から
弥次郎兵衛と言えば、どこかで聞いたことが……そうだ、十返舎一九『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』に登場する主人公の名前です。

弥次郎兵衛と喜多八のプロフィール。十返舎一九『東海道中膝栗毛』より。
本作は弥次郎兵衛が相棒の喜多八(きたはち)と一緒に江戸からお伊勢参りの旅に出る物語ですが、道中に繰り広げる滑稽なエピソードの数々と、担ぎ棒に括りつけた旅荷物の重さによろめく姿がまるで弥次郎兵衛のようだとして、いつしかこの人形が弥次郎兵衛と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに、相棒の喜多八は滑稽ながらも一応イケメン(自称)枠&ツッコミ担当みたいなポジションなので、徹頭徹尾ボケ担当な弥次郎兵衛の方が、より適任?とされたのでしょう。「ヤジロベー」って語呂も何だかユーモラスですし。
■与次郎、豆蔵、正直正兵衛……他にも色んな呼び方が!
ただし、この弥次郎兵衛という名称は江戸の地方名(方言)であり、全国的には釣合(つりあい)人形とか与次郎(よじろう)人形、笠人形とか水くみ人形、豆蔵(まめぞう)などと呼ばれているそうです。
【釣合人形】 釣合人形とは両腕の釣合(バランス)をとろうと揺れる様子を表したものであり、何とか真っ直ぐに立とうと頑張っているようにも見えることから、又の名を「正直正兵衛(しょうじきしょうべゑ)」とも呼ばれるそうです。
【与次郎人形】 与次郎(与二郎)とはそういう名前の物乞いが、門付(かどづけ)にこの人形を用いたことに由来するそうです。
ちなみに門付とは他人の門前で芸を見せて金銭や酒食を求める「大道芸の押し売り」みたいな生業で、現代でもお正月の獅子舞などにその名残が見られますね。
後に弥次郎兵衛と融合したのか、与次郎兵衛(よじろべゑ)と呼ばれることもあります。
【笠人形】 笠人形とはこうした物乞いたちが顔を隠すために深い笠をかぶったこと、あるいは人形にも自分たちを模して小さな笠をかぶせたことなどに由来します。
【豆蔵】

一筆豆蔵紋。レア&ユーモラスで、友達に自慢できそうな家紋です。
延宝~元禄年間(1673~1704年)ごろ、摂津国(現:大阪府北西部と兵庫県南東部)で活躍していた大道芸人の名前で、怪力を活かして身体を張ったパフォーマンスや、滑稽な話芸で人気を博したことから、後に大道芸人全般を指すようになったそうです。
彼らの愉快な動きが釣合人形に通じるため、そのネーミングとして定着したのでしょう。
ちなみに豆蔵は家紋のデザインとしても取り入れられて「一つ豆蔵」「豆蔵の丸」「豆蔵菱」「丸に豆蔵桐」「一筆豆蔵」など、ユーモラスな意匠が現代に伝わっています。
■終わりに
弥次郎兵衛は支点に対するバランスさえとれれば、腕の本数や形状、錘の数など柔軟にアレンジできるため、昨今ではよりユニークなデザインの作品が創られています。

ゆく先々で繰り広げる滑稽な事件の数々。『東海道中膝栗毛』挿絵より。
あっちへフラフラ、こっちへヨロヨロ……どんなに危なっかしくても、決して倒れず立ち続ける姿は、たしかにいつもハラハラさせられる「弥次喜多(やじきた)道中」そのもの。
それでいてずっと見飽きず、不思議な安心感を覚えてしまう弥次郎兵衛は、時代と共に姿かたちを変えながら、これからも広く人々に親しまれることでしょう。
※参考文献: 松村明監修『大辞泉』小学館、1995年11月
『改訂新版 世界大百科事典』平凡社、1998年3月
『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005年12月
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