講談や歌舞伎での創作がまるで史実かのように勘違いされて長年伝わることもよくあります。これからお話しする石川五右衛門の最後についても勘違いされたまま伝えられている事例の一つです。


■天下の大泥棒・石川五右衛門

浄瑠璃や歌舞伎で演じられる天下の大泥棒石川五右衛門は、数々の伝説と共に語られてきました。

その出自や人生についてはわかっていないことが多く、従来その実在が疑問視されてきましたが、後述するように宣教師の日記の中にも、実在を思わせる記述が見つかっていることから、今では実在した人物とされています。

江戸時代に創作材料として盛んに利用されたことで高い知名度を得ましたが、脚色が進んで経歴を明らかにすることがますます困難になってしまいました。

■実際の刑罰は少し違っていた?

一般的に語られている五右衛門といえば、金持ちから金品を奪い、貧しい庶民に分け与えた義賊として知られていますが、なかでもその最期はとてもよく知られています。

熱湯でぐらぐらと煮えたぎる釜に息子ごと入れられ、茹でられながら豪快に絶命する様子は、なんとも無残で派手な最期ですが、実際の刑罰は少し違っていたようです。

息子ごと釜茹で処刑された大泥棒・石川五右衛門、実際の刑は釜茹...の画像はこちら >>


浮世絵に描かれた石川五右衛門の最後 wikipediaより

安土桃山時代を生きた五右衛門が刑に処されたのは1594年のこと。外国人宣教師の記録や貴族の日記にも京都の三条河原で生茹での刑に処されたものがいるとの記述がみられます。

ところが、実はこのとき釜を満たしていたのは熱湯ではなく植物油でした。つまり、五右衛門は正確には茹で殺されたのではなく煎り殺されたのです。

茹で殺されるのも、煎り殺されのも似たようなものかもしれませんが、多少ニュアンスが違ってきます。もっとも、この処刑方法は貴重な油を大量に使用する必要があるため、派手な逸話だらけの五右衛門らしいといえばそうなのかもしれません。

尚、鴨川の七条辺には明治時代まで「釜が淵」と呼ばれた場所がありますが、石川五右衛門の処刑に使った釜を鴨川に捨てた翌年に、洪水によりその地に流されたことに由来しているそうです。


参考

  • 檀 一雄『石川五右衛門』(1951 新潮社)
  • 歴人マガジン

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