皇居外周にはいくつかの門があり、距離の目安にもなっているようですが、さて、ランナーの皆さん、その門の歴史をご存知でしょうか。実は何気なく走りすぎている方も多いのでは?
しかしながら、スルーしていたあの門も、あの門も、元を辿れば400年の歴史を誇る江戸城の門なのです。門の歴史を知れば、走るのがもっと楽しくなるかもしれません。
■平川門
「皇居ランナー必見!知って走ればもっと楽しい江戸城の門」、皇居東御苑の入り口の一つ、大手門を超えた今回は、平川門をご紹介します。
平川門は、大手門と同じく、皇居東御苑の入り口の一つです。大手門よりは比較的空いている印象ですが、同じように枡形門となっており、美しい高麗門と重厚で堅牢な櫓門を目の当たりにすることができます。
今でこそ気軽に見学する事ができますが、もともとは江戸城三の丸の正門で、徳川御三卿の田安・一橋・清水の各徳川家の登城口でした。また、大奥に最も近く、奥女中が行き来した通用門として「お局御門」とも呼ばれていました。
江戸の前期のころ、三代将軍・家光の乳母であった春日局が、門限に遅れて締め出されてしまい、春日局といえども入れてもらえずにこの平川門の前で一夜を明かしたという話は有名です。
■様々な歴史を見てきた門
さらには、この平川門の方角は、江戸城の艮の方角、したがって鬼門にあたります。よってこの門から死者や罪人をここから運び出したことから「不浄門」の異名を持っています。
忠臣蔵の浅野内匠頭、大奥の大スキャンダル江島生島事件で遠島になった大奥の御年寄の江島 も、この門から外に出されたのだとか。
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