江戸時代に流行った「作品の中の猫」は、可愛い・縁起がいいだけではなく、怖いものもありました。なぜ、江戸時代に猫が大人気になったのか?は【前編】もぜひご覧ください。
前編の記事
猫ブームは江戸時代にも!暮らしの中にいたカワイイ・怖い・縁起がいい…様々な猫たち【前編】
■猫の妖怪「猫又」も人気に
猫又(猫の妖怪)(写真:wikipedia)
江戸時代には、猫が妖怪となった「猫又」も人気がありました。
猫又には、
1)山間部に住み人間を襲う恐ろしい猫又
2)人間に飼われていた猫が年老いて亡くなった後になる猫又
と、大きく分けると2種類いるとされていたのです。
猫又は、江戸時代に流行った「妖怪画」にも数多く登場します。
また、歌舞伎や絵入りの読み物「合巻本」には、猫は復讐譚に欠かせない存在として登場するのです。

「鎌田又八勢州松坂の人無双強力なり同国鈴鹿の山中にてとしふる大猫を殺す」(歌川国芳)
■商売繁盛のお守り「招き猫」も

「鼠よけの猫」(歌川国芳)
当時、人気があったのは歌川国芳の版画だけではなく、前足を上げた「おいでおいで」のポーズで知られる招き猫も人気でした。
ネズミが天敵である養蚕業の商売のお守りとして家や店に飾る人も多かったのです。
また、招き猫にはいくつかの由来があります。
■招き猫の由来いろいろ
今戸焼説

今戸焼 丸〆猫。嘉永安政風型。招き猫(写真:wikipedia)
江戸時代、浅草に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢にその猫が登場し「自分の姿の人形を作って売りなさい」と告げたそうです。
江戸の郷土人形である今戸土人形で招き猫を作ったところ、大人気となりました。
豪徳寺説

豪徳寺招猫殿脇の招福猫児(写真:wikipedia)
江戸時代、彦根藩の藩主井伊直孝一行が、引徳院という小さな寺の前を通りがかりました。
すると、門前で和尚の飼い猫が手招きをしたので、寺で一休みをしたところ雷雨が起こり濡れずに済んだとか。
直孝は引徳院に多額の寄進をし、井伊家の江戸の菩提寺と定めました。
この猫をモデルとしたのが、あの有名な「ひこにゃん」です。
自性院説

太田道灌(写真:wikipedia)
東京都新宿区にある自性院(じしょういん)が発祥の地とする説です。
江古田原・沼袋の戦いで劣勢になり、道に迷った太田道灌の前に黒猫が現れ自性院に案内。それをきっかけに道灌は勢いを盛り返したので、この寺に猫の地蔵尊を奉納した。
このほかにもいろいろな説がありますが、IT時代の現代においても、招き猫は福を呼び寄せてくれる存在として愛されています。
■現代でも人気の猫の名前

猫(写真:photo-ac)
江戸時代、金持ちから庶民の間まで大ブームとなった猫。
当時の猫はほとんどが三毛猫だったために「ミケ」という名前が中心で、そのほかは、トラ・タマが主流だったそうです。
2020年のアンケートによると、多いのはムギ・レオ・ソラ・マル・ココ・モモ…の順番でした。
バリエーションに富んでいる犬の名前と比較すると、江戸時代も今も2文字の名前が主流なのも面白いですよね。
■飼った命は生涯大切に

猫(写真:photo-ac)
猫や犬などの動物は、人間社会で何かが起こると定期的にブームになります。
昨年から続くコロナ禍で、家で過ごす時間が長くなり「癒し」を求めて、深く考えずに飼ってしまい、世話の大変・病気などに困り飼育放棄するケースも増え問題になっています。
一度飼った命。生涯大切にしたいものですね。
■(おまけ)筆者が好きな歌川広重の描いた猫

名所江戸百景浅草田浦酉の町詣(歌川広重)
筆者が好きな、猫を描いた浮世絵(歌川広重)です。
遊女屋の窓の格子越しに外を眺める猫。何を思って外を眺めているのか……猫の丸い背中と表情にどこか哀愁が漂う作品です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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