■“万物は神様”の縄文時代
縄文時代の人々の暮らしが、自然環境から大きな影響を受けたことは想像に難くありません。
三内丸山遺跡 冬 (Photo AC)
彼らが、自分たちの生命を支えている狩猟、採集、住居、衣服……すなわち「生活」を守るためには、恵みをもたらす一方で災厄を引き起こすものでもある、そんな自然環境との向き合い方を工夫する必要がありました。
これは現代人でも同じことが言えますが、自然環境に対して「向き合う」やり方には、主に四つの選択肢が考えられます。
1・「立ち向かう」。
2・「受け入れる」。
3・「逃げる」。
4・「神様として崇める」。
おそらく縄文時代の人々も、この1~4の選択肢からさまざまなやり方を選び、なんとかして自分たちの生活を守ろうとしたことでしょう。
このうち本稿では、4の「神様として崇める」について考えてみたいと思います。
古代の人々の間では、あらゆる自然現象に霊魂が宿ると考え、それを畏れ敬う信仰があったと考えられています。この原始的な信仰をアニミズムといいます。
このように「万物は神様である」と考えることで、呪術によって災いを避け、自然の恵みを得ようとしました。彼らは彼らなりに自然環境に向き合って生きていました。
もちろん、縄文時代の人々が、どんなことを考えたり、どんな感情を持って生きていたのかはまったく分かりません。
よって、発掘された出土品などから想像するしかないのですが、その手がかりとなるものはたくさん存在しています。
■アニミズムの「状況証拠」
縄文時代の人々の宗教観を想像させるものの代表格として、「土偶」が挙げられます。
皆さんも、土偶は写真などで見たことがあると思いますが、そのほとんどは奇怪な姿かたちをしています。
しかしよく見ると、身体のパーツから女性の姿をかたどったものだと分かるものが多くあります。これは、出産についての神秘的な力に対する信仰を表現したものと考えられています。
他にも、当時の人々の宗教観を想像させるものはたくさんあります。
男性の象徴をかたどったと思われる「石棒」が発掘された例もありますし、また土偶がわざと壊されていたことから、人形を人の身代わりにする呪術だったのではないか、と推測する研究者もいます。
他にも、発掘された土偶や人骨から推測すると、当時の人々はなんと頭にくしを刺し、耳、鼻、口の周りに飾りをつけたり、首、胸、腰に動物の歯や玉類をつけて、さらに刺青までしていたと考えられています。
こうした装身具や身体への直接的な装飾は、やはり神秘的な力によって悪い霊から身を守るためのものだったと考えられています。
また、こうした文脈で見ていくと、他の発掘物もこうしたアニミズム的、呪術的な見方で読み取ることが可能になります。
例えば、集団で祭りをした場所とされている「配石遺構」。
これはいろいろな石を並べたり組んだりしたもので、代表的なものは秋田県の大湯や長野県の上原などがあります。主に東日本で数十カ所発見されていますが、共同墓地だったという説もあります。
大湯環状列石
子供の頃に教科書で習った「屈葬」もそうです。
縄文時代の人々は、人が死ぬと、遺体の手足を強く折り曲げて埋葬することが多くありました。
これはもちろん理由は不明で、例えば葬儀における労力の軽減などの合理的な理由をつけることも可能です。一方で、死者の霊が生者に危害を及ぼさないようにするためとか、胎児の姿勢に死者を戻すことで生まれ変わりを祈願するためなどの説があります。
■アニミズムと現代人の宗教観
現代では、物事に宗教的な「神秘的な力」を感じる人はあまりいないでしょう。
例えば女性の出産について生命現象の不思議さを感じることはあっても、現代人は土偶を造ったりはしません。多くは、科学的な文脈で説明づけられるのが普通です。
私たちが科学的なものの見方で理解しているところを、大昔の人々は「神様や精霊の力」とする見方で埋め合わせていたのです。
こうした観点から見ていくと、縄文人は、自然現象を神様や精霊の力によるものと考えることでなんとか向き合おうとしていたのだと想像できます。
ところが一方で、「屈葬」の項目で書いたような、死者の霊に関するしきたりや習わしが現代でも残っていることは事実です。
葬儀で、故人を送り出す際に行われるたくさんの儀式を思い出してみると、アニミズムや精霊信仰とまではいかなくとも、ある種の神秘的なものに対する畏れのようなものは、今も私たちの中に残っていることが分かります。
縄文土器や土偶など、縄文人が生み出したものを現在の視点から見ると原始的で野暮ったく見えます。
火焔型土器のオブジェ
しかし生命力にあふれるその力強い造形は、岡本太郎が建てた「太陽の塔」のように、多くの芸術家を魅了しています。
そこには、大昔の人が信じていた神秘的なものや精霊、アニミズムの神様たちのイメージが練り込まれているからなのかも知れません。
また、そうしたイメージを読み取る力が現代に生きる私たちの中にも残っているからこそ、数々の発掘物から古代の神秘性や生命力などを感じ、感動することができるのでしょう。
参考資料
山﨑圭一『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』2019年、SBクリエイティブ株式会社
ジュニア版 神社仏閣ミニ辞典 ー入門篇、神道・民俗信仰の部ー
縄文時代の人々の暮らしが、自然環境から大きな影響を受けたことは想像に難くありません。
三内丸山遺跡 冬 (Photo AC)
彼らが、自分たちの生命を支えている狩猟、採集、住居、衣服……すなわち「生活」を守るためには、恵みをもたらす一方で災厄を引き起こすものでもある、そんな自然環境との向き合い方を工夫する必要がありました。
これは現代人でも同じことが言えますが、自然環境に対して「向き合う」やり方には、主に四つの選択肢が考えられます。
1・「立ち向かう」。
2・「受け入れる」。
3・「逃げる」。
4・「神様として崇める」。
おそらく縄文時代の人々も、この1~4の選択肢からさまざまなやり方を選び、なんとかして自分たちの生活を守ろうとしたことでしょう。
このうち本稿では、4の「神様として崇める」について考えてみたいと思います。
古代の人々の間では、あらゆる自然現象に霊魂が宿ると考え、それを畏れ敬う信仰があったと考えられています。この原始的な信仰をアニミズムといいます。
このように「万物は神様である」と考えることで、呪術によって災いを避け、自然の恵みを得ようとしました。彼らは彼らなりに自然環境に向き合って生きていました。
もちろん、縄文時代の人々が、どんなことを考えたり、どんな感情を持って生きていたのかはまったく分かりません。
それらが文字の記録として残されていないからです。
よって、発掘された出土品などから想像するしかないのですが、その手がかりとなるものはたくさん存在しています。
■アニミズムの「状況証拠」
縄文時代の人々の宗教観を想像させるものの代表格として、「土偶」が挙げられます。

皆さんも、土偶は写真などで見たことがあると思いますが、そのほとんどは奇怪な姿かたちをしています。
しかしよく見ると、身体のパーツから女性の姿をかたどったものだと分かるものが多くあります。これは、出産についての神秘的な力に対する信仰を表現したものと考えられています。
他にも、当時の人々の宗教観を想像させるものはたくさんあります。
男性の象徴をかたどったと思われる「石棒」が発掘された例もありますし、また土偶がわざと壊されていたことから、人形を人の身代わりにする呪術だったのではないか、と推測する研究者もいます。
他にも、発掘された土偶や人骨から推測すると、当時の人々はなんと頭にくしを刺し、耳、鼻、口の周りに飾りをつけたり、首、胸、腰に動物の歯や玉類をつけて、さらに刺青までしていたと考えられています。
こうした装身具や身体への直接的な装飾は、やはり神秘的な力によって悪い霊から身を守るためのものだったと考えられています。
また、こうした文脈で見ていくと、他の発掘物もこうしたアニミズム的、呪術的な見方で読み取ることが可能になります。
例えば、集団で祭りをした場所とされている「配石遺構」。
これはいろいろな石を並べたり組んだりしたもので、代表的なものは秋田県の大湯や長野県の上原などがあります。主に東日本で数十カ所発見されていますが、共同墓地だったという説もあります。

大湯環状列石
子供の頃に教科書で習った「屈葬」もそうです。
縄文時代の人々は、人が死ぬと、遺体の手足を強く折り曲げて埋葬することが多くありました。
これはもちろん理由は不明で、例えば葬儀における労力の軽減などの合理的な理由をつけることも可能です。一方で、死者の霊が生者に危害を及ぼさないようにするためとか、胎児の姿勢に死者を戻すことで生まれ変わりを祈願するためなどの説があります。
■アニミズムと現代人の宗教観
現代では、物事に宗教的な「神秘的な力」を感じる人はあまりいないでしょう。
例えば女性の出産について生命現象の不思議さを感じることはあっても、現代人は土偶を造ったりはしません。多くは、科学的な文脈で説明づけられるのが普通です。
私たちが科学的なものの見方で理解しているところを、大昔の人々は「神様や精霊の力」とする見方で埋め合わせていたのです。
こうした観点から見ていくと、縄文人は、自然現象を神様や精霊の力によるものと考えることでなんとか向き合おうとしていたのだと想像できます。
ところが一方で、「屈葬」の項目で書いたような、死者の霊に関するしきたりや習わしが現代でも残っていることは事実です。
葬儀で、故人を送り出す際に行われるたくさんの儀式を思い出してみると、アニミズムや精霊信仰とまではいかなくとも、ある種の神秘的なものに対する畏れのようなものは、今も私たちの中に残っていることが分かります。
縄文土器や土偶など、縄文人が生み出したものを現在の視点から見ると原始的で野暮ったく見えます。

火焔型土器のオブジェ
しかし生命力にあふれるその力強い造形は、岡本太郎が建てた「太陽の塔」のように、多くの芸術家を魅了しています。
そこには、大昔の人が信じていた神秘的なものや精霊、アニミズムの神様たちのイメージが練り込まれているからなのかも知れません。
また、そうしたイメージを読み取る力が現代に生きる私たちの中にも残っているからこそ、数々の発掘物から古代の神秘性や生命力などを感じ、感動することができるのでしょう。
参考資料
山﨑圭一『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』2019年、SBクリエイティブ株式会社
ジュニア版 神社仏閣ミニ辞典 ー入門篇、神道・民俗信仰の部ー
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