今回は、意識することの少ない戦国時代の性事情について紹介したいと思います。
ヤバすぎる当時の性事情を知ることで、戦国時代のイメージが覆ってしまうかもしれませんが、そこはご了承ください(笑)
■庶民はエッチし放題だった
戦国時代の庶民は頻繁に性行為をしており、男も女も不倫するのは日常茶飯事のことだったようです。当時は、避妊といった概念がなく、性行為をした女性たちは次々に妊娠しました。
それなら人口も一気に増加しそうなものですが、医療技術が乏しかった戦国時代では、出産時に亡くなってしまう子供も多かったようです。
こういった時代背景を考慮すると、「子孫を残さなければならない」という本能がはたらき、性行為が盛んだったのかもしれません。
効果が乏しいものばかり…江戸時代にはどんな避妊具や避妊の方法があったのでしょうか?
■出陣3日前の武士や武将は禁欲!

しかし戦国時代では、女性はけがれたものとして扱われる風潮があり、女性との性行為は縁起が悪いとされていました。
そのため武士や武将たちは、戦で縁起の悪いことが起こらぬよう、女性との性行為を控えていました。
とくに、出陣前の3日間は気を集中させる神聖な期間であり、女性との性行為は絶対に禁止とされ、性行為をした武士や武将は討ち死にするといわれていました。
■打って変わって出陣後はエッチし放題

出陣前にはあれほど厳しかった女性との性行為ですが、出陣後には許されていたため、小姓や娼婦、側室を戦場へと呼びつけていたようです。ただし戦中でも、陣中は女人禁制が原則でした。そのため、小姓に性行為の相手をさせていたそうです。
小姓とは武士の付き人で、主人の警護や雑用が主な役割でした。武将たちは、お気に入りの小姓を少なくとも1人は戦場に連れていたようです。
■あの名武将たちも男好きだった

女性との性行為を禁止されていた武士や武将たちは、たまっていた性欲を同じ武士や武将である男同士で慰めあって解消していました。
江戸時代以前の男色は決して「快楽のため」だけではない?恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった
天下統一を目指した「織田信長」や風林火山の戦法が有名な人材活用のプロ「武田信玄」なども男色の毛があったというのは有名な話です。
たとえば織田信長は、将来を有望視されていた小姓の森蘭丸を寵愛しており、2人は互いに愛し合う関係だったのだとか。
また、以前の記事でも紹介しましたが、武田信玄は自身の小姓を好きになり、ラブレターを送るなどして言い寄っています。
威厳なんかない…。戦国武将・武田信玄が乙女さ全開で年下男子に宛てたラブレター♡
戦国時代では、「豊臣秀吉のように女性にしか興味を持たない武将のほうが珍しかった」というから驚きですね。
■性行為で健康

戦国時代での性行為は、健康の源とされており、武将たちは熱心に性行為について研究していました。「松永久秀」もその1人で、「指導書」(黄素妙論)とよばれる性行為について研究した書を残しています。
あの松永久秀が読んだ!戦国時代のセックスにおける心得を記した参考書『黄素妙論』とは?
「指導書」には、体位の指南や年齢に応じた適切な射精回数、女性が欲情している時に性交してはいけないと言ったことが記載されていました。
松永久秀は、その内容について、家中のものたちに家訓として守らせたようです。
■戦国時代の性事情からわかること
こうしてみてみると、現代とは大きくかけ離れている戦国時代の性事情は、当時の文化や風潮に大きく影響されていることがわかりますね。
インパクトのあるヤバイ性事情ばかり紹介しましたが、歴史的背景を知り、面白いと感じていただけたなら幸いです。
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