旅や歴史についての執筆が多い筆者が、取材などの途中で見つけた隠れた歴史スポットを紹介します。飛鳥時代の最高権力者でありながら、天皇家に対する逆賊として、大化の改新(乙巳の変)で討たれた蘇我入鹿。
その入鹿を祭神とする全国唯一の神社である橿原市(奈良県)の入鹿神社を取り上げます。

【後編】では、いよいよ入鹿神社についてご紹介しましょう。この記事が、少しでも皆さんの歴史探訪の旅の参考になれば幸いです。

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逆賊とされた蘇我入鹿を祀る神社が奈良橿原にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【前編】

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地元小網町の人々から篤い崇敬を受ける入鹿神社。首から上の病に霊験あらたかとされる。(写真:T.TAKANO)

■偶然に存在を知った入鹿神社

筆者が入鹿神社の存在を知ったのは偶然によるものでした。

その日は、著書である『奈良こだわりの美食GUIDE』(書籍/出版:メイツユニバーサルコンテンツ)に掲載をお願いしていた今井町のフレンチレストラン「tama」さんでの取材・撮影が終了。

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今井町のフレンチレストラン「tama」のある日のメイン。ヘルシーなフレンチを味わえる。(写真:T.TAKANO)

奈良に戻るにしても、日暮れまでにまだ時間があったので、久しぶりに大和八木の古い町並みでも見てみようかと、飛鳥川沿いに歩みを進めていた時でした。位置関係を確認しようと覗いたスマホのマップ画面に、入鹿神社という名を見付けてしまったのです。

「そういえば、このあたりは蘇我氏の本貫地・曽我町に近いな」。
何かが閃いたように、入鹿神社をググって、由緒などを調べているうちに、もう入鹿神社の鳥居の前に佇んでいました。

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入鹿神社の鳥居。境内には清々しい静寂が満ちている。(写真:T.TAKANO)

■崇仏派の蘇我氏も神社を創建した

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蘇我馬子が開基した飛鳥寺。止利仏師造立と伝わる本尊・飛鳥大仏で知られる。(写真:T.TAKANO)

蘇我氏といえば、一般に廃仏派の物部氏と争ったといわれるほど、仏教を大切にした崇仏派として知られます。我が国で最古の寺院とされる飛鳥寺(法興寺)を開基したのも、蘇我馬子でした。

そんな馬子でさえも、祖先である武内宿禰と石川宿禰を祀る宗我都比古神社を創建しています。そうした史実を踏まえると、蘇我氏と物部氏との争いは、単なる仏教をめぐる争乱とは言い難いような気がするのは筆者だけでしょうか。

ちなみに、この宗我都比古神社は、『大和史』によると、近世には入鹿宮と称されていたとのこと。やはり、蘇我入鹿は時代が下っても、曽我に暮らす人々の心の中に大きなインパクトとして残っていたのではないでしょうか。

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蘇我氏の本貫地・曽我町に鎮座する宗我都比古神社。
(写真:Wikipedia)

■入鹿神社で感じられる地元の「入鹿愛」

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昭和61年に解体修理が行われた入鹿神社本殿。(写真:小網町文化財保存会)

入鹿神社の祭神は、蘇我入鹿と素戔嗚尊(スサノオノミコト)の二神。両神の木造坐像をご神体としています。

神社の創建年代など、詳しいことは分かりません。しかし、神社に伝わる話しによると、蘇我氏の本貫地とされる曽我に隣接しているこの地は、入鹿が幼少時代を過ごした場所であるそうです。

一間社春日造の本殿は、江戸初期建造と推定される橿原市指定文化財。檜皮葺の屋根、中央蛙股肘木の中に丹精に彩色された彫刻が施された室町時代の風格を漂わせる建築物です。

入鹿神社には、様々な伝説や伝承があります。そのどれも、地元の人々の入鹿に対する愛情や尊敬の念が伝わって来るもの。そんな伝承を幾つかご紹介しましょう。

地元小網町では鶏を飼わなかった 乙巳の変の際、中大兄皇子や中臣鎌足は、鶏鳴を合図に入鹿に斬りかかり、その首を刎ねた。そのため、小網町では昔はどの家も鶏を飼わなかった。


多武峯の談山神社へは参拝しない 多武峯には、入鹿を殺害した中臣鎌足を祀る談山神社がある。小網町の人が参拝すると必ずといってよいほど腹痛が起きたという。

明日香村小原との縁組は禁止 中臣鎌足の生誕地とされる明日香村小原出身の人と、小綱町出身の人の縁組は行ってはいけないとされていた。

改名を迫る明治政府の命令を拒む 1889(明治22)年、神武天皇を祀る橿原神宮が造営された。その際に、明治政府は、逆臣である入鹿の名を冠するのは、皇国史観に反するとして、神社名を小網神社に変更するよう命じた。しかし、入鹿を尊敬する地元の人々は、この要求を頑固拒んだという。

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中臣鎌足を祭神とする談山神社。(写真:Wikipedia)

■蘇我入鹿と蘇我氏が残した功績とは

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蘇我本宗家を滅ぼした中臣鎌足は、勝者として歴史の表舞台に躍り出た。(写真:Wikipedia)

洋の東西を問わず、歴史とは何かと考える時、それは、勝者の歴史といえます。歴史の表舞台に立つのは常に勝った立場の人々です。彼らは、自らの手で滅亡に追い込んだ人々を、様々な手を使い、貶め、抹殺していきました。

だからこそ、後世に生きる我々は、できる限り敗者に寄り添いながら、歴史をかんがみることが大切だと考えます。


歴史の真実を語るとしたら、蘇我入鹿、そして蘇我氏がいたからこそ、日本は律令国家として成立しました。彼らが日本の歴史に残した功績はとてつもなく大きなものであったのです。入鹿神社の静かな境内に佇むと、そんな思いにとらわれずにいられません。

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江戸時代にタイムスリップ?重厚な町家が数多く現存する今井町。(写真:T.TAKANO)

入鹿神社の近くには、今井町や八木の町並みなど、まるで江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えるような貴重なスポットがあります。

見応えのある町家が建ち並び、古い家屋を利用したレストランや食事処、カフェ、雑貨のお店などがある、魅力がいっぱいの場所です。

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大和八木駅近く、八木の古い町並みの中にある「いぶし吟 ふじや」。こだわりの魚介と炭火焼のお店。(写真:T.TAKANO)

この記事をお読みの皆さんも、奈良に行かれたら、一足伸ばして大和八木近辺に足を運び、入鹿神社に参詣し、隠れた歴史を肌で感じていただければ思います。

2回にわたりご愛読をいただき、ありがとうございました。

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