幕末の大スター・坂本龍馬を知らない人はいないと思いますが、彼が率いた「海援隊」、その設立に大きくかかわった人物を知っていますか?

彼の名は「福岡孝弟(ふくおかたかちか)」。あまり知られていない存在かもしれないですが、実は五箇条の御誓文にも関わった重要人物なのです。


そこで今回の記事では、福岡孝弟について、特に坂本龍馬とのつながりに焦点を当ててご紹介したいと思います。

■福岡孝弟(ふくおかたかちか)とは?

坂本龍馬の暗殺を知っていた?海援隊の結成も後押しし、五箇条の...の画像はこちら >>


福岡孝弟(ふくおかたかちか)

福岡孝弟(ふくおかたかちか)は、土佐藩出身の藩士・政治家です。江戸時代から大正時代にかけて活躍しました。公武合体に力をつくしたり、殖産興業政策にも関わりました。

慶応3年(1863年)には、参政(ここでは江戸時代に大名の家老の異称で用いられたものを指します。実質藩主の代理となり、藩の政治の最高責任者となりました)に就任し、徳川慶喜に大政奉還を勧告したり、五か条の御誓文や政体書の起草にも携わりました。


新政府では文部卿、参議、参事院議長、宮中顧問官、枢密顧問官など様々な職に就きました。

■福岡孝弟と坂本龍馬

幕末の志士・坂本龍馬の「海援隊」、そして中岡慎太郎の「陸援隊」は有名ですが、それらの組織の結成を後押ししたのが今回の記事で紹介している福岡孝弟です。

坂本龍馬の暗殺を知っていた?海援隊の結成も後押しし、五箇条の御誓文にも関わった「福岡孝弟」


海援隊士

当時の福岡孝弟には、藩の軍事組織を設立する考えがあり、それは「海」と「陸」を守る二つのグループを作る、というものでした。

そこで彼の目を引いたのが当時長崎で亀山社中を興し実績もあった坂本龍馬でした。同じく奔走していた中岡慎太郎にも着目し、二人の脱藩を許し、彼らにそれぞれ「海援隊」と「陸援隊」を任せることにしました。

■福岡孝弟は坂本龍馬の暗殺を知っていた?

坂本龍馬は、慶応3年(1867年)に起きた近江屋事件で暗殺されてしまいましたが、実は福岡孝弟はそれを知っていたのではないかという説があります。


坂本龍馬の暗殺を知っていた?海援隊の結成も後押しし、五箇条の御誓文にも関わった「福岡孝弟」


坂本龍馬

というのも、坂本龍馬は暗殺された当日、福岡孝弟のもとを2度も訪ねているのですが、そのどちらも福岡は留守。これは居留守を使ったのではないかと言われており、その理由が(具体的な日にちはわかっていなかったけれど)いつか坂本龍馬が暗殺されることを知っており、彼と一緒にいることに身の危険を感じたからではないかと言われています。

いかがでしたか?

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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