日本史を調べていると、昔の日本人にも英語が堪能だった人がたくさんいたことが分かりますね。
しかし、今の時代と比べてみると、英語学習の内容は充実していなかったはずです。
昔の日本人は、英語をどう学んだのでしょう? 今回は、日本人と英語との関係について探ってみたいと思います。
日本で英語教育が始まったのは江戸時代、1600年頃とされています。江戸幕府の外交顧問として訪日したイギリス人、ウィリアム・アダムズが、幾何学や航海術など西洋由来の知識を日本に授けたのがきっかけでした。
しかし、その後いわゆる鎖国政策が採られたことにより、海外から日本に入国することが難しくなります。
長崎・出島表門橋
外国人が入ってこなければ英語教育も広まりません。
しかしそんな中、幕府が英語教育の大切さを痛感する出来事が起こりました。
それは、かの有名な「フェートン号事件」です。オランダ船のふりをしたイギリスの船が日本に入国し、長崎の警護体制の甘さが露呈することになった事件です。
■フェートン号事件、ペリー来航…英語学習が喫緊の課題に
フェートン号が起きたのは1808(文化5)年。イギリスの軍艦フェートン号10月14日(和暦8月15日)にオランダ国旗を掲げて長崎に入港し、湾内を探索したうえ、強奪や乱暴狼藉を働きました。

フェートン号(Wikipediaより)
当時、長崎警固の任にあった佐賀藩兵は100名程度。日本側はこれになすすべもなく、同月17日にみすみす同艦を立ち去らせてしまいました。
この出来事から江戸幕府は英語の重要性を理解しました。外国語教育がしっかりしていれば、イギリスに騙されることもなかったかも知れません。
また、ペリーの来航がきっかけで開国して以降、他国との交流の機会が増加しました。これにより、改めて英語教育をしっかり行きわたらせようと幕府は決心したのです。
では、江戸時代の人々はどのように英語を学んでいたのでしょうか?
彼らの主な勉強方法は「教科書」でした。
実は江戸時代には、数多くの英語学習の教科書が作られました。リーディングや文法、さらにはスペリングなどと幅広いジャンルが存在していたようです。
また一部の教科書は「天気」や「時間」などいくつかのセクションで成り立っていました。そのどれもが、日常生活で使える英語の表現をまとめたものであり、当時の庶民たちもそこから日常表現を学んでいたようです。
■今と大きく異なる「発音」「読み方」
昔と今の英語学習における大きな違いは、「発音」と「文の読み方」にあります。
まずは「発音」。現代では、なるべくネイティブの発音に近づけるように練習しますが、なんと江戸時代は全てローマ字で読んでいたのです。
もちろん、現代の英語教育でそんなことをしたらふざけているのかと思われることでしょう。ローマ字読みで覚えることで、スペリングを覚えやすくしようとしていたのかも知れません。

一方、江戸時代は「素読」が用いられていました。これは、文章の内容や意味には注目せずにただその文字を読み続けるという方式で、漢文の学習方法を応用したものです。
そもそも当時は「文法」という概念がなく、文そのものを暗記することが目的となっていたのです。ですから、目的に対する手段としては理にかなったものでした。
現代に生きる私たちから見ると、そんな学習方法で何の意味があるんだろう? と首をかしげてしまいますが、実際当時の日本にも英語に堪能な人はいました。そうした人たちは、こうした庶民の学習方法とはまた違ったやり方で覚えていたのでしょう。
今でも「学校で教わる英語は実戦では使えない!」という言説をたまに見かけますね。英語が堪能な人は、「外国人はThis is a Penなんて言わないよ~」なんて言ったりするものです。
庶民の英語教育と、現場で使われていた実践的な英語使用との間に乖離があったのは、今も昔も同じだったのかも知れません。実践知を欠いているという点は、江戸時代から変わらない日本の教育の欠点だったのでしょう。
参考
- DMM英会話ブログ
- 和樂web
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan