大化の改新前後の日本古代史上に君臨した女帝・斉明天皇。その真陵と目されるのが奈良県明日香村にある牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)です。


明日香村教育委員会の手で「牽牛子塚古墳等整備事業」として、牽牛子塚古墳とその一画にある越塚御門古墳の約5年にわたる復元作業が終了し、2022年3月6日から一般公開が始まりました。

【前編】では、牽牛子塚古墳に眠る斉明天皇と間人皇女。さらに越塚御門古墳に眠る大田皇女と、復元に至るまでの牽牛子塚・越塚御門の両古墳についてお話ししました。

まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【前編】

【後編】では、復元された牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の現況について、レポート風にご紹介します。

■牽牛子塚古墳へのアクセス

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飛鳥駅から牽牛子塚古墳への道すがら、のどかな雰囲気を感じさせる越の集落。(写真:T.TAKANO)

牽牛子塚古墳へは、鉄道利用なら近鉄吉野線の飛鳥駅から歩くのが一般的です。車の場合は、古墳近隣への乗り入れができませんので、飛鳥駅周辺の駐車場に止めてから徒歩で向かうようにしましょう。

飛鳥駅から牽牛子塚古墳へは、歩いて15分ほど。おすすめのルートは、飛鳥駅の改札を出たら線路に沿った小路を左方向(岡寺駅方面)に進み、突き当ったら左に曲がり、近鉄線の高架をくぐり、越の集落の中を進むという道筋です。

宅地開発などで古の情景が失われつつある明日香村において、のどかな雰囲気を堪能できるルートです。道筋には、古民家・石仏・道祖神・古びた道標などが残り、明日香の原風景に出合うことができます。

また、途中に牽牛子塚古墳と並んで、斉明天皇の御陵候補・岩屋山古墳がありますので、牽牛子塚古墳と比較するうえでも、見学することをおすすめします。


まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【後編】


岩屋山古墳の優美な両袖式横穴式石室。38個の花崗岩切石を左右均等に組み上げている。(写真:T.TAKANO)

■「牽牛子塚古墳等整備事業地区」の構成と紹介

まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【後編】


「牽牛子塚古墳等整備事業地区」の全容。左側の丘の上に牽牛子塚古墳・越塚御門古墳があり、その背後に展望広場がある。右側は模型広場。(写真:T.TAKANO)

ここからは、牽牛子塚古墳・越塚御門古墳が復元された「牽牛子塚古墳等整備事業地区」の現況をご紹介します。牽牛子塚・越塚御門の詳細については【前編】で述べています。ここではその概要と、同じエリアに設けられた模型広場・展望広場をご案内しましょう。

牽牛子塚古墳 ~存在感満点の白亜のピラミッド~
まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【後編】


築造当初の姿に忠実に再現された牽牛子塚古墳。二段目に設けられた柵越しに横口式石槨を見学する。(写真:T.TAKANO)

筆者が現地に赴いたのは、一般公開が始まってすぐの平日の午前中でしたが、多くの見学者が絶え間なく訪れ、その関心の高さがうかがえました。

見学者の多くは考古学や古代史に興味がある方たちだと思います。
ただ、一応に復元された牽牛子塚古墳を見て、驚きを隠せなかったようです。「本当にこんな姿だったの?」「きれいすぎて、真実味が感じられないなぁ」という意見が聞かれました。

しかしながら、まるでコンクリートで固めたような八角形のこの姿こそ、築造当初の真の牽牛子塚古墳なのです。

奈良県や明日香村は、明日香村にある宮都跡や古墳などの歴史的資産を「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として、世界遺産登録を目指しています。牽牛子塚古墳はその重要な構成資産の一つと位置付けていますので、そのためには、発掘調査に基づいて忠実に築造当時の姿を再現する必要があるのです。

牽牛子塚古墳の価値は、墳丘だけでなく埋葬主体部にもあります。壮大な石の建築物である2室に分かれた横口式石槨が、大変な価値を有しているのです。横口式石槨は、墳丘1段目から設けられた階段で2段目にあがり、そこから柵越しに覗き込むような形で見学することができます。

ただ、整備前のように真正面から見ることができません。そのため、石槨内部の隅々まで観察することができないのが残念です。

復元された牽牛子塚古墳については、様々な感想があるかもしれません。しかし、筆者は、石の都・飛鳥京を創造した斉明女帝の墳墓として、真実を伝えるものであると実感しました。


まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【後編】


牽牛子塚古墳の埋葬部である2室に分かれた横口式石槨。上から覗き込むので、内部の造りは分かりづらい。(写真:T.TAKANO)

越塚御門古墳 ~牽牛子塚=斉明陵の決め手となった方墳~
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『日本書紀』の記述の確かさを裏付ける証拠にもなった越塚御門古墳。斉明女帝の孫・大田皇女が眠る。(写真:T.TAKANO)

越塚御門古墳も、一辺約10mの方墳として発掘調査に基づいて忠実に再現されています。こちらも柵越しに埋葬部の横口式石槨の見学が可能です。

古墳の中では、約12分間の映像描写(上映時間は9時~17時)が行われています。飛鳥時代および牽牛子塚古墳・越塚御門古墳の解説のほか、被葬者として斉明天皇・間人皇女(牽牛子塚)、大田皇女(越塚御門)を紹介しています。

牽牛子塚だけでなく、明日香村が今まで古墳の被葬者論に踏み込むことがなかったことを考えると、この映像は注目に値するでしょう。

模型広場 ~牽牛子塚と越塚御門の模型を展示~
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模型広場の一画に設けられた牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の立体模型。(写真:T.TAKANO)

牽牛子塚古墳・越塚御門古墳の右側、小高い丘が「模型広場」です。丘の一画には、牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の模型が展示されています。
古墳の全体像や墳丘・石室の構造などを理解するうえで、古墳見学の前にまずこちらに立ち寄るのがよいでしょう。

展望広場 ~明日香を一望できる高台~
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「牽牛子塚古墳等整備事業地区」の一番奥にある展望広場。(写真:T.TAKANO)

牽牛子塚古墳の背後に設けられた丘が「展望広場」です。ここからは、復元された牽牛子塚越しに明日香村の風景が一望できます。牽牛子塚古墳が築造された立地が理解できるので、ぜひ登ってみましょう。

■まとめにかえて ~現地を訪れてみて思ったこと~

宮内庁の良識的見解に期待したい
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車木ケンノウ古墳。宮内庁が斉明天皇陵として治定しているものの、古墳であるかどうかも疑わしいとされる。(写真:T.TAKANO)

現地を訪れ、復元された牽牛子塚古墳と越塚御門古墳を眺めていると、この地が斉明女帝・間人皇女・大田皇女という三代にわたる貴婦人が永遠の眠りにつく地であることが実感されます。

ただそうしたなかで、とても疑問に思うことがあります。それは、考古学・文献史学から被葬者が100%に近い確率で特定されたのにもかかわらず、宮内庁がかたくなに斉明天皇陵=牽牛子塚古墳を否定することです。

その理由を宮内庁は「陵誌銘等の資料が発見されていない」「墳丘や石室の形状では判断できない」などと述べ、現斉明天皇陵(車木ケンノウ古墳)が正しいという見解を変えず、その治定は見直さないとしています。どんなに学術的な裏付けがあっても天皇陵の治定変えはしない。
これでは、いつまでたっても古代史の真実は明らかにならないでしょう。

実は2010年に牽牛子塚が八角形墳と判明し、越塚御門が発見された時、発掘に当たった明日香村教育委員会は宮内庁に遠慮をしたのでしょうか、両古墳の被葬者をぼかした報道をしていました。

しかし、牽牛子塚古墳が斉明天皇の真陵であるとする説が大勢を占めるようになると、「被葬者については古墳の立地や歯牙等から斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考える説が有力」という言い方に変化してきています。

おそらく今後も変わることはないのでしょうか、牽牛子塚古墳のみならず、学術的に明らかになったことに対して、宮内庁の良識的な見解に期待したいと思います。

時間に余裕があれば訪ねてみたい古墳と史跡 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳の見学後、時間に余裕があれば近隣の終末期古墳、特に以下の古墳および史跡を訪ねてみることをおすすめします。

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謎の巨石として有名な益田岩船。かつて松本清張がゾロアスター教に関係があるとしたほか、様々な説が唱えられてきた。(写真:Wikipedia)

●益田岩船…山の中にポツンと置かれた東西約11m、南北約8m、高さ約4.7mの花崗岩の巨石。江戸時代より様々な説が唱えられてきたが、現在では墳墓説が有力。上部には中央を仕切られた一辺約1.6m、深さ約1.2mの穴が空けられており、牽牛子塚古墳の横口式石槨として造られたものの、建造途中で亀裂ができたため放棄されたという説があります。

まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【後編】


小谷古墳の玄室。兵庫県の播磨地方で採れる竜山石製の家形石棺が残されている。
(写真:Wikipedia)

●小谷古墳…岩屋山古墳と並び、斉明天皇陵の候補とされる古墳。墳形は30m前後で方墳、あるいは円墳であったと推測されます。内部には、約8m巨石を用いた両袖式横穴式石室があり、その規模は全長約11.6m、玄室長約5m、玄室幅約2.8m、玄室高約2.7mをはかります。岩屋山古墳と同じ形の石室で、7世紀中頃に編年され、斉明天皇の崩御の時期と一致します。

●中尾山古墳…対辺長約30mの三段築成の八角形墳。凝灰岩と花崗岩の切石で造られた横口式石槨には、火葬にふされた被葬者の遺骨を入れた骨蔵器が納められていたと推測されます。被葬者は天武・持統天皇の孫で第42代文武天皇と考えられています。

●野口王墓古墳(天武・持統天皇合葬陵)…大化の改新を成し遂げた、第40代天武天皇・第41代持統天皇の御陵。対角辺の長さ約40m、全体の高さは約7.7mを測る五段築成の八角形墳。盗掘を受けた際の記録書から、埋葬施設は横口式石槨とみられ、天武帝の遺骸を納めた夾紵棺や持統女帝の遺骨を入れた骨蔵器の存在が伺われます。

まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【後編】


野口王墓古墳。天武天皇と持統天皇夫妻が眠る。宮内庁が治定した確かな天皇陵として数少ない陵墓でもある。(写真:Wikipedia)

●束明神古墳…対角辺の長さ約30mの八角形墳で、埋葬主体部は凝灰岩切石で構築された横口式石槨。出土品と歯牙の理化学的分析・文献・伝承などから、被葬者は、天武・持統天皇の子で皇太子であった草壁皇子の墳墓である可能性が高いとされます。

いかがでしたでしょうか。発掘調査に基づき忠実に復元された牽牛子塚古墳と越塚御門古墳。終末期古墳の真の姿を知るうえでも大変価値のある古墳です。ぜひ訪れることをおすすめします。

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