何だか語感は汚いし、いかにも悪いことをしているような響きですが、これが蕎麦打ちに由来しているという説をご存じでしょうか。
なぜ蕎麦打ちから「ズルい」という言葉が生まれたのか、今回は諸説ある内の一つを紹介したいと思います。
■蕎麦打ちで手抜きをするには……
蕎麦を打つ時、まず必要なのは蕎麦粉に水を回して生地に練り上げること。水の量が多すぎるとベチャベチャでまとまらず、少なすぎても硬すぎてやはりまとまりません。
聞けば蕎麦粉は小麦粉と違って「後から足せばいい」というものではなく、一度水を入れすぎるとどうにもまとまらないのだとか。
蕎麦は腰を入れて打つのが肝心(イメージ)
なので適量の水を手早く回すのがコツなのだと言いますが、これがまたなかなか大変。分量はもちろんのこと、その通りに入れてもちょうどいい水加減の生地は硬いため、練り込むのに力が要ります。
そこで要領のいい人は、生地がまとまるギリギリまで水を増やして軟らかくし、練り込む力を軽減するのだとか。
こうして通常よりも水を多く回して軟らかく練り上げた生地(蕎麦玉)を「ずる玉」と呼び、仕事を怠けることの喩えとなったのでした。
ただし、こうしてズルをした蕎麦は見る人が見れば一発で判るそうで、生地の練り込み不足が露骨に現れるといいます。
打った麺には艶がなく、茹でるとフワフワ水っぽく、そして当然の如く味も劣るという始末……その場しのぎでインチキをすると、せっかくの蕎麦が台無しに。

「うん。よく練り込んだいい生地だ」包丁の音も心地よい(イメージ)
せっかく蕎麦を打つなら、丹精込めて美しく美味しい蕎麦を食べたい(食べてもらいたい)ものですね。
■終わりに
ちなみに「ズルい」の語源には他にも諸説あります。
着物をきちんと着こなせず、裾や帯などをズルズルと引きずる擬音を表したと言われ、元々は締まりがない、だらしない様子を表す言葉だったとか。
それが後に狡猾さや計算高さを表すようになったのは、公私のけじめを忘れて公益よりも私欲を優先するだらしなさに転じたからではないでしょうか。
蕎麦を打つでも他の仕事でも、私欲の追求よりも公益に供する価値を提供し続けたいものですね。
※参考文献:
- 新島繁『蕎麦の事典』講談社学術文庫、2011年5月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan