虫の声は日本人にしか聞こえない!?日本人と世界の人々の虫の声の聞こえ方について【前編】
虫の声は日本人にしか聞こえない!?日本人と世界の人々の虫の声の聞こえ方について【後編】
豊かな自然に四季折々の情緒を楽しんで来た日本人らしいと言えばらしいですが、どんなに美しい音色であっても、時に集中を妨げてしまうことは間々あるもの。
まして失敗できない重要な場面では、ほんの些細な音でも気になって仕方なかった経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
歌川国芳「英雄大倭十二士 名鐘の辰 武蔵坊弁慶」
今回は源義経(みなもとの よしつね)の家来として有名な武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)のエピソードを紹介。豪傑を絵に描いたような弁慶ですが、意外に繊細なところもあったようですね。
■コオロギの鳴き声がうるさ過ぎて……
時は元暦2年(1185年)5月、平家を滅ぼしたものの兄・源頼朝(よりとも)に鎌倉入りを拒絶されてしまった義経。
何とか誤解を解こうと、弁明の書状を政所別当の大江広元(おおえの ひろもと)当てに送りました。
義経が滞在していた地名(腰越の満福寺)から腰越状(こしごえじょう)と呼ばれたこの書状、その草案は弁慶が書いたと言います。

荒くれ者のイメージが強い弁慶だが、僧侶としての素養も兼ね備え、義経の右筆的な役割も果たした。鎌倉満福寺にて。
「えーと、『左衛門少尉源義經乍恐申上候(意訳:左衛門少尉・源義経、恐れながら申し上げそうろう)』……と」
すると、弁慶の耳元でコロコロ……とコオロギたちの元気な鳴き声が響き渡りました。
「まったくうるさいのぅ……いかんいかん、集中しよう。『義經無犯而蒙咎 有功雖無誤 蒙御勘氣之間 空沈紅涙(意訳:義経は罪もないのに咎められ、手柄こそあれ過ちはないのにお怒りを受けた悔しさに、血の涙を流しております)』……これでどうじゃろう」
頑張って書き進める弁慶ですが、どうにもコオロギの声が耳障りで堪りません。
「うぅむ、『不被糺讒者實否 不被入鎌倉中之間 不能述素意 徒送數日(意訳:私を陥れようとする者に事実確認もせず、鎌倉にお入れ下さらないため真実を申し上げることもかなわぬまま、いたずらに数日を送るばかり)』……ぐぬぬ」
義経への同情に心乱され、更にはコオロギの鳴き声がよほどうるさかったのか、弁慶の執筆は難航したようです。
「うるさい!」

弁慶の一喝に震え上がり、鳴きやんだコオロギ(イメージ)
ついに堪忍袋の緒が切れた弁慶は、境内じゅうに響き渡る大音声で一喝。さすがのコオロギも恐れをなしたのか、鳴き声がピタリとやみました。
「……解ればよろしい」
こうして弁慶は集中力を取り戻し、無事に「腰越状」を書き上げたということです。しかし、義経はじめ他の家来たちも「すわ何事か」と驚いたことでしょう。
■終わりに
それからと言うもの、弁慶に叱られるのが恐ろしいからか、満福寺の境内ではコオロギが一切鳴かないということです。

弁慶が心血注いで書き上げた腰越状の写し。鎌倉満福寺にて。
……という伝承があるものの、コオロギが鳴き始めるのは8月中旬、旧暦では7月中旬ごろからと言われています。義経が「腰越状」を提出したのが5月24日(新暦では6月下旬)ですから、ちょっと早すぎるのではないでしょうか。
真偽はともかくとして、それだけ弁慶の一喝は恐ろしかったということなのでしょう。もし機会があったら秋の夜長にお邪魔して、本当にコオロギが鳴いていないかチェックしてみたいですね。
※参考文献:
- 神谷道倫『深く歩く 鎌倉史跡散策 下 改訂増補版』かまくら春秋社、2012年12月
- 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県野歴史散歩 下 鎌倉 湘南 足柄』山川出版社、2005年5月
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