何とか両者に和解してもらいたい北条義時(演:小栗旬)の努力も虚しく、ついに義経は後白河法皇(演:西田敏行)に取り込まれてしまいました。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、第19回放送のサブタイトルは「果たせぬ凱旋」。これが一体何を意味するのか、そして頼朝と義経はどのように決別したのか……さっそく予習していきましょう。
■仮病で命令拒否する義経、刺客には誰を……?
時は文治元年(1185年)9月。鎌倉入りを果たせず京都へ戻っていた義経の元へ、鎌倉から梶原景季(演:柾木玲弥)と義勝房成尋(ぎしょうぼう じょうじん)らが訪ねて来ました。
「ご違例(いれい。病気)のため、面会はご遠慮願います」
そこで仕方なく、翌々日に出直して面会したところ、確かにやつれているようです。
梶原景季。歌川国芳筆
「鎌倉殿に叛逆した源行家(演:杉本哲太)を見つけ出して誅戮(ちゅうりく、罰し殺すこと)すべし。また、平時忠(たいらの ときただ)を配流地へ送るべし」
平時忠とは亡き平清盛(演:松平健)の義弟に当たり、源氏にとってはにっくき仇の一人。
壇ノ浦で捕らわれた後、死一等を減じて流罪となった時忠。しかしその娘・蕨姫(わらびひめ)が義経に嫁いだため、情が湧いて引きとどめていたとか。
「近ごろでは謀叛人(行家、時忠)らを集めて謀叛を企てているという噂も立っておりますゆえ、どうか早急にご対処なされ」
「はぁ……身体がよくなったら、前向きな善処を鋭意検討して参ります」
その様子を鎌倉に帰って報告すると、梶原景時(演:中村獅童)が頼朝に進言しました。
「どうせ仮病に決まっています。二日間で時間を稼ぎ、飯を抜いて夜更かしすれば、やつれた演技などいくらでも出来るでしょう。お灸の跡があったなんて、それこそいくらでも据えられます。これは行家と組んで謀叛を企んでいるに違いありませんな」
さて、そうと決まれば義経を討たねばなりません。
「放っておけば九郎殿が利するばかり。今の内に潰しておくのが肝要でしょう」
では誰が行くのか……平家討伐での活躍ぶりもあることで、御家人たちはなかなか名乗り出てくれません。
「然らば、それがしが」

土佐坊昌俊。歌川国貞筆
進み出たのは土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)。元は土肥実平(演:阿南健治)の預かりになっており、挙兵以来の古参として戦ってきました。
「もしそれがしが討死したら、下野国(現:栃木県)にいる年老いた母と幼い子供たちの面倒を見ていただけますでしょうか」
頼朝はこれを快諾し、さっそく下野国中泉荘(現:栃木県壬生町)に所領を与えます。
昌俊は文治元年(1185年)10月9日、弟の三上弥六家季(みあげ やろくいえすえ)はじめ郎党の錦織三郎(にしごおり さぶろう)・門真太郎(かどま たろう)・藍澤二郎(あいさわ じろう)ら83騎を率いて上洛して行きました。
■下された「頼朝追討」の宣旨
一方の義経は文治元年(1185年)10月13日、行家と一緒に御所へ参上。後白河法皇に頼朝討伐の宣旨を下さるよう直訴します。
「兄・頼朝は罪なき叔父を討てと命じてきましたが、私にはそんなことできません。また私自身も平家討伐で大手柄を立てたにもかかわらず、ロクな恩賞もないばかりか、平家から奪い取った所領をすべて召し上げられてしまいました。もはや我慢の限界です。どうか頼朝討伐の宣旨を下さい。もしお許しがいただけないなら、二人とも今すぐこの場で自害します!」
神聖な御所で自害などされてはたまらない……とりあえず後白河法皇はその場しのぎで「宣旨については検討するから、まずは行家をなだめ、謀叛など思い留まるよう説得せよ」と帰らせました。
「よいか、抜かるでないぞ……かかれ!」
10月17日、京都に到着していた土佐坊昌俊は水尾谷十郎(みおや じゅうろう)ら60余騎(出発時は83騎だったのに、約20騎ほど脱落した模様)を率いて六条室町の義経邸を襲撃します。
「来たか!」

土佐坊昌俊の軍勢を撃退する義経たち。静御前も薙刀を奮い、最前線で闘っている。歌川国芳「堀川夜討ノ図」
ちょうど手薄になっていましたが義経は佐藤忠信(さとう ただのぶ)らを従えて必死に防戦。後から駆けつけた行家の加勢もあって、昌俊を撃退しました。
「鎌倉の刺客……これは何としても宣旨をいただかねばならぬ」
翌10月18日、かねて御所で議論されていた結果、義経と行家に対して頼朝討伐の宣旨が下されたのでした。
文治元年十月十八日 宣旨「命に代えても朝敵を討ち滅ぼしまする!」
從二位源頼朝卿偏耀武威。已忘朝憲。宜令前備前守源朝臣行家。左衛門少尉同朝臣義經等。追討彼卿。
※『吾妻鏡』文治元年(1185年)10月18日条
【意訳】頼朝は武力をたのみに朝廷を軽んじている。行家と義経は頼朝を追討すべし。
義経の軍略に朝廷の宣旨が加われば鬼に金棒、これでにっくき頼朝もおしまいだ……行家はほくそ笑んだことでしょう。
■上等だ、受けて立つ……本腰を上げた頼朝
「そうか、土佐坊はしくじったか」
京都からの報告を受けた頼朝は、自身の追討宣旨が発せられたというのにどこ吹く風。
「あの叔父に寄生されて、九郎も気の毒な……まぁそんな事より、今は御堂供養の方が大事だ。抜かりなきようにな」
「ははあ」
御堂供養とは亡き父・源義朝(よしとも)の菩提を弔う勝長寿院(現存せず)の落慶法要のこと。
「明日、兵を出す。とりあえずすぐ行ける者をリストアップせよ」
「「ははあ」」

千葉介常胤。大河ドラマでは謀叛人になっているが、史実では忠臣中の忠臣。こういう時には真っ先に名乗り出る。菊池容斎『前賢故実』より
交名(きょうみょう。名簿)を出させたところ、千葉介常胤(演:岡本信人)はじめ2,096名が候補に挙がります。
その内すぐにでも出発できるものは小山朝政(演:中村敦)と弟の結城朝光(ゆうき ともみつ)以下58名。
「これだけで、大丈夫でしょうか?」
土佐坊昌俊が83騎(実際には60余騎)で討ち損じた義経に、58名で挑むのはちょっと不安。しかし、頼朝は動じません。

御家人たち義経を支え、勝利をもたらしたのは、鎌倉殿が御為なればこそ。歌川国芳「源義経梶原逆櫓争論図」
「心配するな。
「……確かに」
「九郎よ、そなたは確かに強い。だがな。戦さとは一人で勝てるものではないのだ……」
翌10月25日、先発隊が鎌倉を出発。道中、尾張と美濃両国(現:愛知県西部・岐阜県南部)の者たちに命じて足近(あぢか)と洲俣(すのまた)を封鎖させ、万が一にも義経らが東国へ攻め込まないよう備えさせます。
「九郎と行家の両名が京都におればすぐに討て。もしいなければ京都から離れず、本隊の到着を待つように……まぁ、戦にもなるまいが」
「「ははあ」」
そして10月29日、ついに頼朝本隊も鎌倉を出発。先陣は土肥実平、後陣を千葉介常胤が務め、相模国はじめ坂東じゅうの御家人たちを引き連れたと言います。
■都落ちした義経、気がつけば主従5人だけ
「何だと、兄上が……」
頼朝が上洛してくると聞いて、義経と行家は浮足立ちました。まともに戦っても勝ち目はありません。
「「九州へ逃げるぞ!」」
文治元年(1185年)11月3日、後白河法皇へあいさつも出来ないまま京都から逃げ出しました。

頼朝に叛旗をひるがえしたものの……(イメージ)
こうなるともう「義経は落ち目だ」とばかり、今までつき従っていた家来たちも脱走。
11月3日…約200騎で都落ち
11月5日…多田蔵人行綱(ただ くろうどゆきつな)と交戦、撃退したが犠牲者・脱走者多数
11月6日…行家にも見捨てられ、とうとう主従5人に
最後に残ったメンバーは源有綱(みなもとの ありつな。源頼政の孫で義経の婿)、堀景光(ほり かげみつ。金売り吉次と同一人物?)、武蔵坊弁慶(演:佳久創)、そして静御前(演:石橋静香)。
暴風雨で九州への出航を諦め、奥州の藤原秀衡(演:田中泯)を頼ることになるのですが、それはまた後の話し。
ちなみに正室の里(演:三浦透子。郷御前)は別ルート(途中で合流)で奥州へ、娶って間もない側室の蕨姫(平時忠の娘)は義経を早々に見捨てて京都に残ったと見られます。
「……まぁ、そうなるな」
黄瀬川(現:静岡県清水町)に駐屯していた頼朝は、義経の都落ちを知ると間もなく鎌倉へ引き上げていきました。
■天魔と天狗の言い争い
「……で?九郎らに宣旨を発せられた言い訳は?」
とりあえず義経の謀叛がほぼ片づいたので、頼朝は後白河法皇を責め立てます。その場の勢いで後先考えずに討てなどと言うから、こういうことになるのです。

後白河法皇御影。藤原為信筆
「えーと、それはきっと魔が差してしまったのでしょう。あやつらは宣旨を下さねば自害するなどと脅すので仕方なく、と言いますか(万が一逆ギレされたら怖いですし)……でも本心じゃなかったので、宣旨を下したとは言っても実質的にはそうでないようなモノでして……えーとえーと……」
【原文】……行家。義經謀叛事偏爲天魔所爲歟。無宣下者參宮中可自殺之由。言上之間。爲避當時難。一旦雖似有勅許。曾非叡慮之所與云々。是偏傳天氣歟。これを聞いた頼朝は呆れて答えます。
※『吾妻鏡』文治元年(1185年)11月15日条
「その天魔とやらが誰を示しているのかは存じませんが……天魔とは仏法を妨げ、人々に禍をなす者。この頼朝は義仲や平家など多くの朝敵を滅ぼし、朝廷に忠義を尽くして参りました。それを考えなしに討伐せよなどと仰せになったせいで、行家や九郎は謀叛人となってしまったのです。あやつらを討つためにまた多くの犠牲が出ることでしょう。それこそ日本一の大天狗(の所業)に他なりませんな!」

伝頼朝公肖像。神護寺蔵
【原文】……天魔者爲佛法成妨。於人倫致煩者也。頼朝降伏數多之朝敵。奉任世務於君之忠。何忽變反逆。非指叡慮被下院宣哉。云行家。云義經。召取之間。諸國衰弊。人民滅亡歟。仍日本第一大天狗者。更非他者歟云々。すべて天魔≒頼朝のせい、と言い訳した後白河法皇に対して「お前こそ日本一の大天狗だ!」と(婉曲ながら)言い返した頼朝。
※『吾妻鏡』文治元年(1185年)11月15日条
これにはさすがの「大天狗」も返す言葉がなかったことでしょう。
■終わりに
かくして、修復不可能となってしまった頼朝と義経。紆余曲折あって奥州へと逃げ延びた義経を追い詰めていくことになるのですが、それはもう少し先の話し。
古来、力ある者たちを競わせてパワーバランスを保ち、その頂点に君臨してきた朝廷。中でも後白河法皇はその駆け引きに巧みな「大天狗」でした。

「大天狗」との政争を繰り広げた頼朝。その駆け引きも歴史を楽しむ醍醐味。
こういう政治的なやりとりは合戦に比べて派手さは少ないものの、その巧妙さに感心させられることもしばしば。歴史モノを楽しむ醍醐味の一つと言えます。
さて、第19回放送「果たせぬ凱旋」ではどのようなアレンジが加えられるのか、今から楽しみですね!
※参考文献:
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan