年がばれますね。これ、「脚気」の判断方法として、昭和生まれの人は子供の時に親から教わったことでしょう。
「脚気」とはビタミンB1の欠乏により、さまざまな症状が現れる病気のこと。初めは脚の神経麻痺に始まって、手足のしびれ、倦怠感と続き、ひどくなると低血圧になりむくみが発生。脈が乱れて重くなり最後は心臓を圧迫するという、食生活など改善せずに放っておくと死に至ることもある病です。
で、なんと神話上の有名な人物、ヤマトタケル(日本武尊)が晩年力尽きて死んだのは、その脚気のせいではなかったといわれています。
ヤマトタケルといえば、第12代景行天皇の皇子で、熊襲征討・東国征討を行い、ほぼほぼ日本を平定したとされる古代史上の伝説的英雄。
口は禍の元!日本神話の英雄ヤマトタケルが悲劇を招いた失言ワースト3
性格が粗暴で兄をあっさり切り殺したりしたため、父が恐れをなして、熊襲や東国征討を命じられたとか。そんな逸話が多いので、なんとなーく、戦いの最中に負った傷が元で亡くなったようなイメージをもっていましたが、実はそうではなかったようです。
古事記ではヤマトタケルは都に戻る道中、伊吹山の神の化身である猪を侮ったため、氷雨のような大雨を降らされてそれが元で具合が悪くなり、伊勢の野煩野(のぼの)というところで亡くなったとされています。
あたかもその呪いのため亡くなったように書かれていますが、そのときの体の症状が地名にもなっています。
例えば足が腫れてしまい、「たぎたぎしく成りて(腫れて凸凹して)」と嘆いた場所は「当芸野(たぎの)」、更に悪化して杖がないと歩けなくなった場所は「杖衝坂(つえつきざか)」と名付けられました。
そして「私の足が三重に折れ曲がってしまったようになり、疲れが甚だしい」と苦しんだ場所が「三重(みえ)」となりました。

確かに足が腫れてむくみ、体の倦怠感がひどくしまいには発作を起こし心臓が止まる…。
徳川家光も家定も脚気が元で亡くなりました。また、江戸時代には庶民が玄米を食べずに白米を好んで食べるようになったので「江戸患い」といわれたほど。
手足がしびれ怒りっぽく!?将軍・徳川家光の命も奪った奇病「江戸わずらい」の正体とは
みなさんも食生活にはお気をつけてくださいね。
参考:病が語る日本史(酒井シヅ)
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