乾燥機能にミスト機能、ジャグジーや水中照明など、現代のお風呂は「ただお湯につかる」だけのものではなくなってきています。

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入浴が一番のリラックスタイム、という方も多いのではないでしょうか。
しかし、昔の日本の衛生環境は今と大きく異なっています。そこで今回の記事では、平安時代の貴族に焦点を当て、彼ら・彼女たちのお風呂事情を見ていきたいと思います。

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■平安時代のお風呂は「サウナ」

平安時代にも、お風呂に入る、という習慣はありました。しかし、現代のように、たっぷりお湯を張った湯船につかる、というものではなく、蒸し風呂(当時はこれを「風呂」と呼びました)のようなものでした。

これは「風呂殿」と呼ばれ、ここで汗を流して出てきた垢を拭きとっていたといわれています。

また、蒸し風呂には裸では入りませんでした。「湯帷子(ゆかたびら)」と呼ばれる、朝の単衣(ひとえ:裏地のない着物を指します)を着て入っていました。湯帷子は、平安時代以降の貴族たちが入浴時に着用していました。これが、現代の「浴衣」のルーツになっています。

さらに、蒸し風呂に入るときは、お尻の下に布を敷いていました。これが、「風呂敷」の言葉の由来になっています。


■平安時代には小さな浴槽も

平安時代、貴族のお風呂には、もうひとつ「湯殿」と呼ばれる部屋がありました。ここには2つの小さな浴槽のようなものがあったそうです。

小さめの浴槽はなんと深さ24cm、大き目の浴槽でも深さ50cmほどと、いずれもあまり大きくはありません。

こちらは「湯浴(ゆあみ)」とされ、手ぬぐいなどを濡らして身体を拭いたり、お湯を身体にかけていたりしたそうです。

平安貴族にとって風呂は「禊」平安時代のお風呂・衛生事情はどんなものだったのか?


■平安貴族にとってのお風呂は「禊(みそぎ)」

蒸し風呂があったり、浴槽のようなものがあったりと、「意外と平安貴族もお風呂に恵まれていた?」と思う方もいるかもしれません。

しかし、平安貴族にとってお風呂は、身体を清潔に保つという目的よりも、「身を清める、禊(みそぎ)」というように、儀式的な意味合いの方が強かったと言われています。

特に、宮中で大切な行事があるときなどは、朝から身を清めていたそうです。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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