近年、親が子供に難読な読み方の名前や当て字、または珍しい名前をつける例が増え「キラキラネーム」「ドキュンネーム」などとメディアを中心によく取り上げられています。
かくいう筆者も本名の漢字と読み方がかなり珍しく、小学校~大学卒業まで学校などで周囲から何かにつけからかわれた記憶があります。
それでも最近の子供達の名前と並べると「現代ではそこそこ普通の名前」という印象を持たれるようで、そこに「時代の変化」というものを感じることもしばしばです。
しかし、現代でいう「キラキラネーム」に該当するような名前は、どうも近年になって急増した現象というわけではなさそうです。
■信長の長男は「奇妙丸」!秀吉の息子は「捨」に「拾」!
実は、誰もが知っている歴史上の人物たちも、自分の子供にかなり珍しい名前をつけていました。
たとえば織田信長は、長男(後の織田信忠)に「奇妙丸」という名前をつけました。
名前の由来はなんと「生まれた時の顔が奇妙だったから」なのだとか。そして九男(後の織田信貞)につけた名前は、その名もなんと「人」。
不器用すぎる親心?織田信長が子供たちにつけたユニークすぎる名前を一挙紹介!
また信長亡き後に天下人となった豊臣秀吉は、側室・淀の方の産んだ「鶴松」という名前でも知られる嫡男に「棄(すて)」、後に秀吉の後継者となる次男・豊臣秀頼に「拾(ひろい)」という名前をつけています。

現代の感覚では、多くの方が「えっ!?」と二度聞きしてしまうのではないでしょうか?
■幼名が「キラキラ」「ドキュン」でもOKだったワケ
現代では「キラキラネーム」のために就職が不利になったり、出世に影響が出たり、救急車で緊急搬送されるときなどに名前が読めなくて命に関わる問題となったりと、問題点がしばしばクローズアップされています。
このような問題は、戦国時代や江戸時代には起こらなかったのでしょうか?
実は当時は、生まれた時につけられた名前を一生名乗り続けるわけではありませんでした。
平安~江戸時代の貴族や武士の子供たちは、誕生から成人となるまでの間は、親から最初につけられた「幼名」で呼ばれました。
そして概ね15歳くらいで元服を迎えた後は、実名(じつみょう)である「諱(いみな)」と、「仮名(けみょう)」という2種類の新しい名前が与えられます。
当時は本人に向かって実名で呼びかけることはとても失礼なことで、代わりに「仮名」を呼ぶのがマナーでした。
たとえば織田信長に仕えていた頃の豊臣秀吉の場合、フルネームは「木下藤吉郎秀吉」「羽柴筑前守秀吉」でした。この中の「秀吉」は「諱」にあたり、「藤吉郎」「筑前守」が周囲から日常的に呼ばれる「仮名」だったということになります。
ちなみにこれは男性の場合で、女性は大人になっても幼名を名乗ることが多かったのだとか。
ですから
「親から変わった名前をつけられた!出世に影響が!」
という現代のような問題は、少なくとも男性の場合は原則起こらなかったと考えられます。
歴史上の人物のバラエティ豊かな「幼名」についても、別の機会に記事として取り上げられたらと思います。
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