たった一つ回収し忘れた人形(ヒトガタ)によって流罪となり、ついには非業の死を遂げた阿野全成(演:新納慎也)。

これで比企能員(演:佐藤二朗)と北条義時(演:小栗旬)の対立は決定的なものとなり、いよいよ「比企の乱」へと突入していくのでした……。


NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第30回放送は「全成の確率」。いつも半分しか成功しないと言われた(もっと確率低かったような……)全成の祈祷や呪詛。

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実衣を思う全成の一念が嵐を起こした(イメージ)

しかし最後の最期になってカッコよく決めたところで、八田知家(演:市原隼人)に斬首されて退場と相成りました。

八田知家奉仰。於下野國。誅阿野法橋全成。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)6月23日条

【意訳】八田知家が命令を受けて、下野国(常陸国より移送した先)で全成を処刑した。

伝承によればその首級は所領の駿河国阿野荘(現:静岡県沼津市)まで飛んで行ったと大河紀行で紹介されていましたが、この法力をもってすればさもありなんと言ったところ

あるいは愛妻の実衣(演:宮澤エマ。阿波局)に会いたさ余ってのことかも知れませんね。

さて、今回はそんな阿野全成の略伝+αを紹介、大河ドラマの振り返りと行きましょう。

■「悪禅師」阿野全成プロフィール

知家「悪禅師全成、覚悟!」

首を刎ねる時、そう耳元でささやいていたセリフ。この悪禅師とは全成の二つ名で、大層な荒くれ者であったからそのように呼ばれていたとか(劇中の全成とは全然イメージが違いますね)。


阿野全成は仁平3年(1153年)に源義朝(みなもとの よしとも)の7男として誕生。母は絶世の美女と名高い常盤御前(ときわごぜん)。同母弟に源義円(演:成河)と源義経(演:菅田将暉)がいます。

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父と死に分かれ、雪の中をさまよう常盤御前と三兄弟。松斎吟光「古今名婦鏡」より

幼名は今若丸(いまわかまる)。平治の乱で父が敗死した8歳の時、一命を救われて醍醐寺(現:京都市伏見区)で出家。最初は隆超(りゅうちょう。隆起)と号し、後に継父の一条長成(いちじょう ながなり)から一文字もらって全成と改名しました。

厳しい修行を重ねること20年、治承4年(1180年)に異母兄の源頼朝(演:大泉洋)が配流先の伊豆国で平家討伐の兵を挙げるとこれに呼応。寺から脱走して一路東国へと向かいます。

しかし頼朝は石橋山の合戦で敗れ、頼朝とはぐれていた佐々木定綱(演:木全隆浩)らと合流してしばし相模国高座郡渋谷荘(現:神奈川県大和市)に潜伏。10月1日になって頼朝と対面を果たしたのでした。


大河ドラマでは義経が一番に駆けつけたことになっていますが(第9回放送「決戦前夜」より)、『吾妻鏡』では全成こそが一番乗りを果たしています。

その後、頼朝の側近として信頼を得た全成は武蔵国長尾寺(現:神奈川県川崎市。妙楽寺)を与えられて阿波局(実衣)と結婚。建久3年(1192年)に千幡(演:嶺岸煌桜。源実朝)の乳父となるなど、重要な役割を担っていたものの、『吾妻鏡』にはほとんど登場しません。

劇中で和田義盛(演:横田栄司)が「全成殿のことは、ぼんやりとしか知らねぇ」と言っていましたが、その存在感はいまいちだったようです。

やがて建久10年(1199年)に頼朝が亡くなって源頼家(演:金子大地)が鎌倉殿の地位を継ぐと、全成は舅の北条時政(演:坂東彌十郎)と共に千幡を擁立する姿勢を見せたため、頼家とその後ろ盾である比企能員と対立。

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阿野全成。悪禅師らしい豪傑ぶりもちょっと見てみたかったかも。歌川国貞ら『義烈百人一首』より

建仁3年(1203年)5月19日に謀叛の容疑で逮捕されて5月25日に常陸国(現:茨城県)へ配流。翌6月23日、下野国(現:栃木県)で斬られたのでした。享年51歳。


なお、前回ちょっとだけ言及のあった阿野頼全(演:小林櫂人)は、実は二人の子供ではなく庶子(側室の子)。二人の間に生まれた嫡男は阿野時元(ときもと)のみですが、頼全は全成が処刑された翌7月に京都で暗殺されるため、ドラマの演出的に設定を変えたのでしょう。

■実は頼全だけじゃない・全成の息子たち

ここで頼全の名前が出たことですし、せっかくなので全成の息子たちを一挙に紹介します。

長男・阿野頼保(らいほう/よりやす)
『吾妻鏡』には登場せず、『尊卑分脈』に名前があるのみ。詳細不明。

次男・阿野頼高(らいこう/よりたか)
『吾妻鏡』では死後の言及のみ。『清和源氏系図』での別名は阿野隆光(りゅうこう/たかみつ)。元久4年(1207年?元久は3年までなので建永2年か)に将軍位を望んで謀叛を起こし、粛清されたと言います。

三男・阿野頼全(らいぜん/よりまさ)
通称は播磨公。『吾妻鏡』では京都・延年寺(現:京都市東山区)で殺される場面のみ登場、死後にも少し言及があります。

四男・阿野時元(ときもと)
母親は北条時政の娘=阿波局(実衣)。建保7年(1219年)に第3代将軍・源実朝(演:柿澤勇人)が暗殺されると将軍位を狙って挙兵、鎮圧されたと言われています(一説には、北条氏が粛清を謀ったため自衛のため兵を集めたとする説も)。


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時元の最期。阿波局(実衣)は何を思ったのだろうか(イメージ)

五男・阿野道暁(どうぎょう)
『尊卑分脈』にのみ登場。駿河国岩本寺(現:静岡県富士市か)の僧都を務めたとの記録があります。

六男・阿野頼成(らいじょう/よりなり)
『尊卑分脈』にのみ登場。紹介は「小松原禅師」のみ。小松原という地名は複数あるので、その内いずれかで活躍したのでしょうか。

時元の子孫は細々と家名を保ったものの、やがて南北朝時代にはすっかり廃れてしまったとか。

ほか全成には娘がおり、藤原公佐(ふじわらの きんすけ)に嫁いだ娘の子孫は後世にその血脈をつないでいったのでした。

■トキューサ爆誕!北条時連、名を時房と改める

「トキューサ?」

「ときふさ、です!」

今後、都で活躍したいなら……ということで、平知康(演:矢柴俊博)からアドバイスを受けて北条時連(ときつら)から改名した北条時房(演:瀬戸康史)。

わざわざカットで「トキューサ」とテロップを入れていたので、何か時房を「トキューサ」と呼んでいた出典があるのかと調べたものの、結局のところ単なる内輪ネタと知って苦笑いでした。

(SNS等で話題になっていたので大方「ときふさ」の訛りであろうとは思っていましたが……)

まぁそれはさておき。この改名の一件について、『吾妻鏡』では他人の名前を笑いものにした知康そして一緒に笑っていた頼家に尼御台・政子(演:小池栄子)が激怒。
それを「今は耐えましょう」となだめる義時・時房……という筋書きですが、大きくアレンジされていました。

でも、人の名前にケチをつけるなんて失礼なヤツですね。りく(演:宮沢りえ。牧の方)がちょっとばかり怒ってくれたのがせめてもの救いでしょうか。

しかし、父親である時政も「連」という字は三浦一族とのつながり・義理でもらっただけで、実のところあまり気に入っていなかったと笑います。

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三浦十郎義連。あの「暴れ馬」上総介広常(演:佐藤浩市)にも意見するほどの硬骨漢だった。菊池容斎『前賢故実』より

え、それって失礼じゃありませんか?時連の字は、五郎が元服した文治5年(1189年)、頼朝の指名で烏帽子親となった三浦十郎義連(みうら じゅうろうよしつら。佐原義連、三浦義澄の末弟)からもらった大事な一文字。

五郎だって人格者として尊敬していた(であろう)義連からもらった名前を、そんな粗末に扱うとは思えません。

まぁトキューサこと時房だって素晴らしい名前ですが、もうちょっと時連という名前にも愛着を持っていて欲しかったと少し残念でした。

この三浦一族を粗末に思っていることが、のちのち時政の不利とならねば(幼なじみの次郎こと三浦義澄が草葉の陰で泣いていなければ)いいのですが……。


■雨降って何とやら…実衣と政子の仲直り

頼朝の後継者問題よりこのかた、何かと疎遠であった政子と実衣。しかし全成の逮捕によって切羽詰まった状況ともなれば、助けずにはいられない政子。

気まずい実衣ですが、他愛ないやりとりを通して仲直りした二人。よかったよかった……しかしそこへやってきたのは、比企弥四郎(演:成田瑛基)ら頼家の側近たち。

「実衣殿を引き渡せ!」

北条泰時(演:坂口健太郎)が必死に止めても、政子が制止しても聞く耳を持ちません。

「仕方ありませんね……お願いします」

政子が奥の扉を開けると、そこには完全武装の仁田忠常(演:高岸宏行)。

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仁田四郎忠常の勇姿。歌川国貞筆

「(政子に対し、満面の笑みで)後はお任せ下さい……(弥四郎らに向き直り、真顔で)来るなら、来い!」

右手に太刀、左手に長刀(長巻?)の二刀流で一喝する姿は実に頼もしく、若い側近らは恐れをなして引き下がっていきました。

「来い!」

忠常の後ろで太刀を構える泰時も、とても可愛かったですね。

ちなみに、『吾妻鏡』だと政子が単独で比企弥四郎を撃退。曰く「全成殿は阿野荘に戻っており、2月ごろからこの3か月ずっと連絡もとっていない。謀叛の企みなど知るはずもない」と拒否しています。

この記述から、作品によっては北条氏が全成をトカゲのしっぽ切りすることも少なくないため、今回は実にハートフルな(だからこそ悲惨さが際立つ)展開となりました。

■所領の再分配について

「そうだ。そなたの持っておる上野国(現:群馬県)の所領をすべて差し出せ……宿老が自ら手本を示すのだ。忠義を誓うなら、できるだろう」

そう能員に迫った頼家。かつて亡き頼朝が御家人たちの横一線化を図ったように、所領の多い者から少ない(あるいは持っていない)者への再配分を打ち出しました。

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父・頼朝に倣い、御家人たちを横一線に並べようと苦心した頼家。

これが能員をして全成に再度の呪詛をそそのかす原因となったのはさておき、頼家が御家人たちの所領を再分配しようと図ったことは『吾妻鏡』に記述があります。

金吾仰政所。被召出諸國田文等。令源性算勘之。治承養和以後新恩之地。毎人。於過五百町者。召放其餘剩。可賜無足近仕等之由。日來内々及御沙汰。昨日可令施行之旨被仰下廣元朝臣。已珍事也。人之愁。世之謗。何事如之哉之趣。彼朝臣以下宿老殊周章。今日如善信頻盡諷詞之間。憖以被閣之。明春可有御沙汰云々。

※『吾妻鏡』正治2年(1200年)12月28日条

【意訳】頼家(金吾)は政所に命じて諸国の田文(でんもん。田んぼの権利証書)を取り集めさせ、源性(げんしょう)にこれを集計させました。頼朝の挙兵以降に与えた恩賞の土地について、500町(約5ヘクタール)を超えて所領を持っている者は、超過分を召し上げるとのこと。召し上げた土地は所領を持たない側近らに与えたいそうで、かねがね考えていたことをただちに実行するよう大江広元(演:栗原英雄)に命じました。
いやいやちょっと待って下さい。いくら何でもあんまりです。だってかつて頼朝に命を預けて戦い、少なからぬ犠牲の代償として得た所領を召し上げるなんて、そんなことをしたら二度と誰も従ってくれなくなってしまいます。
善信入道(三善康信。演:小林隆)らが必死になって諫めたので、頼家も仕方なく一度は取り下げてくれました。が「来春には決定するからな!」と言い放ったそうな。

大河ドラマの第30回放送は(全成が逮捕され、殺される直前と考えて)建仁3年(1203年)。少し時間が前後しているのか、あるいは正治2年(1200年)から言っていたことを、ここに来て実行しようとしたのかも知れません。

結局この件はうやむやになっているものの、頼家としてはパワーバランスの調整によって政権基盤の安定化を図ろうとしており、かなり乱暴とは言え着想自体は悪くないのではないでしょうか。

もう少し文官や宿老たちと話し合い、より摩擦の少ないうまいやり方があったとは思いますが……まぁ、そんな配慮があるなら、あんな最期は迎えなかったでしょうけど。

■義時「立派なご最期でした」実衣「詳しく聞かせて」

さて、いよいよ全成が斬られんとするまさにその時。

のうまくさーまんだーばーさらだんせんだん
まーかろしゃーなーそわたやうんたらたかんまん……

呪文を唱え続けていると空がにわかにかき曇り、打ちつけるような雨が降りしきります。

おんあふるあふるさらさらそわか
おんあふるあふるさらさらそわか……

その霊力に恐れをなす武士たち、日ごろ神仏の祟りなど畏れない八田知家も、わずかに怯みを見せました。

首を落とそうと太刀が振り下ろされた瞬間、近くの樹木に雷が落ちて逸れた太刀筋。縄の切れた全成は、血の赤さに実衣を思って九字を切ります。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前……ぼろん急急如律令、合!」

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全成の切った九字。ちゃんとこの通りに演っていた?博文堂庄左衛門『九字護身法』 より

これは初登場の際に「風を起こす」と張り切ったものの失敗、「今日はダメのようです」とうそぶいていたあのおまじない(九字護身法などとも)。

以来ずっとギャグ要員として活躍?してきた全成ですが、ここで最後の力を振り絞って嵐を起こし、実衣を護るべく念を飛ばします。急急如律令(急げ、急げ、律令の如く=法力を届かせしめよ)……能員に「実衣の身が危ない」と聞かされていた全成の思いが伝わるようです。

政子「やはり全成殿には、人知を超えた力があったのですね」

実衣「当たり前じゃないですか……醍醐寺で20年も修行して来たんですから。私には分かっていました」

前回は、頼全からの書状を読んで「お寺の修行って、大変なんですってね」などと呑気なことを言っていた実衣。修行の大変さなら、全成以上に知っている人はいないでしょう(少なくとも、実衣の身辺では)。

今まで藤原秀衡(演:田中泯)の調伏をはじめ、多くの祈祷や呪詛に失敗してきた全成。それはきっと命令によって渋々やらされていたからであり、ここ一番では(心から本気で願ったならば)しっかり決められる法力を備えていたのです。

「鎌倉殿の13人」やってくれましたね、最後の最期で…第30回放送「全成の確率」振り返り


嵐を呼び、見る者をして畏怖の念を起こさしめた全成の最期(イメージ)

果たして夫が贈った最大にして最後の愛情をもって、実衣は天寿をまっとうするのですが、それはまたしばらく後の話し。

本当に愛情深く、また実力を備えた全成の、実に立派な最期でした。

■終わりに

さて、全成の死によって抜き差しならぬところまで来てしまった北条と比企の対決。

「鎌倉殿の13人」やってくれましたね、最後の最期で…第30回放送「全成の確率」振り返り


全成の呼んだ嵐が、次週鎌倉に吹き荒れる(イメージ)

全成の呪詛が今度こそ効いてしまったのか、急病に倒れる頼家、にわかに沸き起こる後継者問題。選ばれるのは、比企派の一幡(演:相澤壮太)か千幡か(善哉はさすがにまだ幼過ぎるため除外)。

次週放送の第31回「諦めの悪い男」とは比企能員のことを指しているのでしょうか、それとも……いよいよ幕を開ける比企の乱(建仁3・1203年9月2日)、心して見届けたいですね。

※参考文献:

  • 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月
  • 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 続・完全読本』産経新聞出版、2022年5月

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