忠義者でバカ……ずを踏んできた和田義盛(演:横田栄司)。強くて真面目なのはいいのですが、喧嘩っ早いのが玉に瑕。


瓢箪から駒で御家人たちを統率する侍所別当に任じられたはいいものの、御家人同士で喧嘩が起きると仲裁どころか身内に加勢してしまう(建久6・1195年5月15日)など”やらかし”も多く、いっときは梶原景時(演:中村獅童)に別当職をとられて?しまいました。

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歳を重ねて丸くなった?和田義盛。菊池容斎筆

やがて景時ら梶原一族が滅亡すると侍所別当に返り咲いた義盛は、まぁ相変わらずではありながら少しずつ大人になっていったそうな。

今回は鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』より、そんな和田義盛が侍所別当らしい貫禄を示したエピソードを紹介したいと思います。

■葛西十郎の仇討ちにいきり立つ遺族たち

時は承元2年(1208年)7月19日、源実朝(演:柿澤勇人)と御台所の坊門姫(ぼうもんひめ)、そして尼御台・政子(演:小池栄子)らが永福寺の阿弥陀堂供養に出かけました。つつがなく法要を終えて帰ってくると、何やら御所の辺りが騒がしい様子。

「何事か、確かめて参れ」

「ははあ」

物見の報告によれば、御家人の葛西十郎(かさい じゅうろう)が従僕によって殺され、葛西一族が結集したとのこと。

これぞ侍所別当の貫禄!御家人たちの騒動を鎮めた和田義盛のエピソード【鎌倉殿の13人】


十郎を殺した下手人を袋叩きにする葛西一族(イメージ)

「穏やかではありませんね」

「このままでは不測の事態も起こりかねない。和田の爺よ、頼めるか」

「承った」

実朝は和田義盛に命じて葛西一族の元へ派遣しました。こういう騒ぎが起こると血気に逸って暴れ出しかねない義盛ですが、今回は侍所別当たる威厳をもって任務に臨みます。

「その方ら、一体何事か!」

葛西一族は十郎が殺されたために下手人の従僕を捕らえ、誰の差し金であるか訊問した後に攻めかかろうと殺気立っていました。

「一族を殺された仇もとらで、坂東武者の面目は立たぬ!和田殿ならばお解り下さろう?」

そんな主張を聞いて、しからば一丁それがしも……と加勢しそうな義盛ですが、今回は一味違います。


これぞ侍所別当の貫禄!御家人たちの騒動を鎮めた和田義盛のエピソード【鎌倉殿の13人】


侍所別当らしい貫禄を湛えた和田義盛。歌川芳員筆

「……相分かった。それがしも同じ立場なれば、断じてただでは済まさぬ。が、罪人の検断(けんだん。捜査と処罰)は侍所に任されたい」

「そんな!」

「まだ下手人は殺しておるまい。取り調べは当方で行い、適切に処断するゆえ、身柄を引き渡されよ」

「しかし、和田殿……」

「これ以上の騒ぎ立ては御所(鎌倉殿)に対する謀叛と見なす。侍所別当として命ずる。ただちにその者を引き渡せ」

「……承知」

果たして葛西一族は十郎を殺した下手人を引渡し、兵を解散。鎌倉が戦火に包まれる危機を脱したのでした。

■終わりに

これぞ侍所別当の貫禄!御家人たちの騒動を鎮めた和田義盛のエピソード【鎌倉殿の13人】


直情径行な性格で実朝に愛されていた義盛。豊原国周筆

於永福寺阿弥陀堂。被行二十五三昧。
仍爲御聽聞。尼御臺所。并將軍家。同御臺所等。有御參堂。御留守之間。鎌倉中騒動。是葛西十郎爲僕從依被殺害。一族等馳集之故也。然而和田左衛門尉義盛尋問子細。相鎭云々。

※『吾妻鏡』承元2年(1208年)7月19日条

【意訳】永福寺の阿弥陀堂で二十五三昧会(にじゅうござんまいえ。
念仏集中大会)が行われ、政子と実朝と坊門姫らが聴きに行った。不在の間に鎌倉(ここでは特に御所の周囲)で騒動が起こった。葛西十郎が従僕に殺され、遺族が集結したためである。しかし和田義盛が事情を尋ねた上で説得、騒ぎは鎮まったとのこと。

取り調べの結果、葛西十郎がなぜ殺されたのか、そして下手人がどうなったかなどについて『吾妻鏡』には記録がありません。

恐らく犯行の動機も単なる逆恨みか何かで、粛々と処刑された(記録するまでもない結果に終わった)ものと考えられます。

三つ子の魂百までとは言いますが、人間変われば変わるもの。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも義盛の成長ぶりが見られるのか、楽しみに見届けたいものです。

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
トップ画像: NHK公式ホームページより

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