般若(はんにゃ)という言葉があります。「般若心経」というお経にも出てくる言葉ですが、同時に、なぜか恐ろしい鬼のような顔のお面のことも「般若」と呼びますね。
般若の面
般若とは、サンスクリット語の「プラジュニャー」やパーリ語の「パンニャー」に由来をもつ、「仏の智慧(ちえ)」という意味の仏教用語です。
私たちが、知識が豊富であることに対して使う「知恵」と違って、「智慧」は「物事をありのままに知ること」を指します。仏教的な悟りの境地に至るには、知恵よりもこうした智慧の方が大切だとされています。
ところで、般若心経というお経がありますが、あれは正式には般若波羅蜜多心経という大乗仏教の経典です。三蔵法師がインドから持ち帰ったものだと言われています。
般若心経は仏教の経典の中でも最も短いとされる276文字程度のものですが、インド仏教で生まれた「空(くう)」の思想と般若の思想についてシンプルに説かれています。
そこには、すべての事柄は不変の実体を持たず、因縁によって生じたものであり、智慧によって執着を離れることで悟りに至ると記されています。
■「般若のお面」の由来は?
ここまで見てきた通り、般若とは仏教用語であり、仏教哲学の中のキーワードのひとつにすぎず、その言葉自体に恐ろしい意味は全くありません。

奈良市般若寺町にある「般若寺」
ではなぜ、鬼の面が般若と呼ばれているのでしょうか。
般若の面は、能などで用いられる女の鬼を表現した面です。角が2本あり、剥き出しになった歯には尖った牙が上下に2本ずつ生えていることが多いです。その恐ろしい表情には怒りと悲しみが表現されています。
重要なのは、このお面と、仏教用語の「般若」の間に直接的な関係はないということです。あるのは間接的な関係でしかなく、しかもその由来も諸説あります。
例えばこういう説があります。室町時代、大和の般若寺にある能面師がいました。彼は能面作りにおいて素晴らしい腕前を持っていたのですが、突然スランプに陥ります。
そこで、「智慧」の意味をもつ般若という言葉を使って「般若坊」へと変名してみたところ、無事にスランプから脱却。特に鬼女の面の評判が良かったので、鬼女の面を般若と呼ぶようになった……。
この他にも、『源氏物語』を題材にした能の演目「野宮」の中に、般若心経によって祈祷される鬼が出てくることからイメージが定着したという説もあります。
■般若になる鬼女
また、般若の面をつけて演じられる鬼女たちは、演目の中で怒り狂う一方で、改心したり悟りを開いたりすることもあります。そこで仏教つながりということで般若と呼ばれるようになったという説もあります。
般若の面とひと口に言ってもさまざまな特徴があり、例えば高貴な女性が怨霊や鬼女になったら、白い面を使った「白般若」ですし、山奥でひっそり暮らしているような鬼女は「黒般若」。庶民の女性が怨霊になったり地獄から戻ってきたりした場合は「赤般若」となります。

赤い般若の面
これだけバリエーションがあるというのは、昔の人も今と同じくらい、人間の恨みの強さやその多様さ、人間の「業」とでも呼ぶべきものをしみじみ感じていたということなのでしょう。
であれば、そんな鬼女たちが改心するさまに感動し、恐ろしい鬼女の面であるにも関わらず「般若」と呼ぶようになったというのも頷ける気がします。
参考資料
- 家族葬のファミーユ【Coeurlien】
- ギモン雑学
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan