■織田家が衰退した理由

本能寺の変で織田信長が討ち死にしたことで、その後の「天下取り」の流れはどのように変わっていったのでしょう。

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織田信長(Wikipediaより)

「もし織田家が力を持ち続けていたら」という視点を交えて考察してみます。
そもそも、1582年の本能寺の変で信長が亡くなっても、後継者がしっかりしていれば織田家は衰退しなかったでしょう。

ではなぜ衰退したのかというと、長男の織田信忠が自害したためです。彼は父の救出を試みたものの失敗し、二条城へ退却。そこで奮戦したものの、26年の生涯をそこで終えることになりました。

本能寺の変、織田信忠の自害…織田家の衰退がなかったらその後の「天下取り」はどうなった?


京都二条城二の丸御殿

その後、織田家の後継者を決めるための清洲会議が開かれました。これには織田家の家臣である柴田勝家・丹羽長秀・池田恒興・羽柴秀吉の4人が出席し、後継候補として次男の信雄、三男の信孝、信忠の嫡男(つまり信長の孫)である秀信の3名の名前が挙がります。


ちなみに、秀信は当時三歳で、幼名を「三法師」と言いました。

この会議では、明智光秀を討ち取った功労者である羽柴秀吉の発言力が大きかったようです。その結果、彼が推した秀信が後継に決まりました。

普通に考えて三歳児を後継にするというのは、織田家を弱体化させて、秀吉自身が天下統一するための素地を作ろうとした意図が丸わかりです。実際、彼が天下統一を果たしたのはそのたった6年後の1588年でした。

■信忠が自害した理由

それにしても、信忠が父親を救出しようと考えずに安土城へ退却していれば、自害することもなく、最終的に織田家は継続したかも知れません。
当時彼が逃亡するのは不可能ではなく、織田家側で逃亡に成功した者もいました。

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織田信忠(Wikipediaより)

ではなぜ信忠は逃げなかったのかが問題になります。この理由としては2つの説があり、ひとつは逃げ切ったとしてもリスクがあったからというものです。

リスクとは、父の信長に罰せられる可能性のことです。もしも自分自身が父を救おうとせずに安土城へ退却し、それで信長が生還すれば、罰せられるかも知れません。

もう一つの説は、逃亡に失敗して明智軍に討ち取られた場合、後世の恥になると考えたからではないか、というものです。


両方の説を綜合して考えると、当時の信忠は、もし逃亡したとしても失敗すれば殺されて織田家の恥になるし、逃亡に成功したとしても、父の信長が生きていれば処罰されるかも知れない……という状況にあったということです。

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信忠自刃の際、介錯は鎌田新介が務めた

これをもって「自害して当然」と言えるかどうかは分かりませんが、少なくともこれ以外には、彼が二条城へ退却して自害した合理的な理由は考えにくいということです。

■信忠が生きていたらどうなっていたか

ところで、織田信忠は早くから信長から後継者として特別に扱われていました。また、1582年には甲州征伐で武田家を滅ぼすなどし、その期待に応えています。

本能寺の変、織田信忠の自害…織田家の衰退がなかったらその後の「天下取り」はどうなった?


甲州征伐で滅ぼされた武田勝頼(Wikipediaより)

彼の戦いぶりは鮮やかなもので、父の信長は「少し慎重になれ」と忠告したほどだと言われています。しかし信忠はそれを無視して勝利をおさめ、これなら天下を任せてもいいだろうと父の信頼を勝ち得たのです。


歴史にifは禁物ですが、リーダーシップに優れた信忠が、自害という道を選ばずに生き延びていたら、秀吉の天下統一や徳川幕府による支配もなかったかも知れません(とは言っても、徳川幕府のような精緻で巧妙な支配体制を確立できたかどうかは分かりませんが)。

また、信長が築いた安土城をそのまま居城としていれば、現在の首都も東京ではなく、滋賀県か、あるいは京都となった可能性もあるでしょう。

さらに言えば、信長は積極的に海外と交流していたので、鎖国体制も敷かれなかったかも知れません。

本能寺の変、織田信忠の自害…織田家の衰退がなかったらその後の「天下取り」はどうなった?


鎖国期の復元建物(長崎の出島)

もっとも反対に、織田信長のような天才だからこそあそこまで見事に天下統一までの道筋をつけられたのであって、彼以外の誰かがそれを継いだとしても、政治・経済の政策方針がそのまま維持できたはずがない、という考え方もありますが。

いずれにせよ、織田信長という人物の功績はあまりにも巨大すぎました。彼の突然の死によって、彼が強烈に推進してきた、乱世統一のための新しい政治・経済・文化の展開が突然断ち切られたのは確かです。


だからこそ、「彼自身がもし命を落とさず、織田家も衰退していなかったらその後の歴史はどうなったか」という想像は面白いのだと言えるでしょう。

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