「江戸時代の交通手段・移動手段」といったら、みなさんは何をイメージするでしょうか?現代のように便利な飛行機や電車、バスなどが無かった時代、「馬」は非常に重要な移動手段でした。

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そこで今回の記事では、「早馬(はやうま)」について取り上げてみたいと思います。
競走馬のように、確かにスピードが速い馬ですが、その活用にはさまざまな大変なことがありました。

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■早馬とは?

早馬は、緊急の連絡手段、交通手段でした。馬を走らせて緊急の文や伝言を届けていました。特に鎌倉時代に頻出したと言われています。また、室町時代から江戸時代にも多く使われました。

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馬は、現代のサラブレッドとは異なり、足がすらっとしておらず、体高が40cmほどの小柄でずんぐりむっくりの体形。日本の在来馬でした。現代の道産子・木曽馬・与那国馬などに近いと言われています。

日本の在来馬とはいえ、誰もが気軽に利用できたわけではありませんでした。馬を持つことができたのは、主に大名や武士たちでした。



■江戸時代の早馬

江戸時代の早馬は、長距離の場合1頭で目的地まですべて走り切るのではなく、宿場から宿場のあいだを走りました。サラブレッドは時速60kmほどであるのに対して、早馬は時速30~40kmと言われています。


もちろん、鎧をつけた人物が乗る場合それだけ重さが加わるため、走るスピードも遅くなります。また、宿場間はだいたい20km~30kmと言われていますので、それだけの距離を継続して走るとなると、時速15kmくらいだと考えられています。

早駕籠(はやかご:駕籠に人を乗せ運ぶ)は平均時速6kmくらい、飛脚(ひきゃく:江戸時代に職業として手紙・金銭・小貨物を送り届けた仕事)は平均時速4.6kmくらいだったため、それと比べれば速いのですが、以下にご紹介する理由から、馬ならではの大変さもありました。

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■馬ならではの大変さも

平均時速で言えば飛脚や早駕籠よりも速い早馬ですが、馬だからこその大変さもありました。

たとえば、夜走れないという点。江戸時代は月明りが頼りで、電灯などはありません。先導する人間がいれば提灯を持たせて夜じゅう走る、ということも可能ですが、馬は夜暗い中では走ることができませんでした。

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また、早馬に乗る人も乗っている最中は休憩や食事を取ることもできず、また駕籠に乗る場合と比べても、馬に乗ることで身体にも大きな衝撃がありました。

これらのデメリットから、単に情報を伝達するだけであれば飛脚が最も速い、ということになります。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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