主人公の“白兎”こと松平元康(演:松本潤)が天下人へと成長していく過程を見ている中で、名前も少しずつ変わっています。
幼名の竹千代(演:川口和空)から元服して元信、さらに元康、家康。
【家康の改名一覧】
- 松平竹千代(まつだいら たけちよ)
- 松平元信(もとのぶ)
- 松平元康(もとやす)
- 松平家康(いえやす)
- 徳川家康(とくがわ ~)
- 東照大権現(とうしょうだいごんげん。東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士)
■松平竹千代(誕生=1歳~14歳)
竹千代少年の像
……御七夜に 竹千代君と御名参らせらる……竹千代は松平家に代々受け継がれた幼名。確認できる限り松平親忠(ちかただ。家康の5代)から徳川家綱(いえつな。家康の曾孫)の代まで使われました。
※『東照宮御實紀』巻一「命名竹千代」
……松平親忠-松平長親-松平信忠-松平清康-松平広忠-徳川家康-徳川秀忠-徳川家光-徳川家綱……
竹のように真っすぐ強くしなやかに、千代に八千代に生きて欲しい。そんな願いが込められているようですね。
■松平元信(15歳)
竹千代君御とし十五にて今川治部大輔義元がもとにおはしまし御首服を加へたまふ。15歳で元服した竹千代が、一年間だけ用いた諱(いみな。忌み名=実名)です。主君である今川義元(演:野村萬斎)から元の一字を拝領したことで知られます。義元加冠をつかうまつる。関口刑部少輔親永(一本義廣に作る。)理髪し奉る。義元一字をまいらせ。 次郎三郎元信とあらため給ふ。時に弘治二年正月十五日なり……
※『東照宮御實紀』巻二「弘治二年竹千代加冠稱元信」
通称は次郎三郎(じろうさぶろう)、これまた松平家に代々受け継がれたものでした。
■松平元康(16~19歳)

若き元康。後世の絵なので既に徳川姓になっている。清親筆
主君から拝領した元はそのまま、豪傑として名を馳せた祖父・松平清康(きよやす)から康の一字を拝領しました。
……御名を 蔵人元康とあらためたまふ。これ御祖父 清康君の英武を慕わせられての御事とぞ聞えける……蔵人(くらんど/くろうど)とは官職の一つで、本来なら朝廷より授かるものですが、当時は多くの大名勢力において私称されたようです。ここでは義元が元康に名乗ることを許したのでした。
※『東照宮御實紀』巻二「元信改名元康」
■松平家康(20~24歳)
さて、桶狭間の合戦をキッカケに今川と決別した元康は、亡き義元から拝領した元の字を返上。継父の久松長家(演:リリー・フランキー)から家の字を拝領して家康と改名しました。
…… 君ことし御名を 家康とあらため給ふ。(永禄四年十月の御書に 元康とあそさばされ(※あそばされ?原文ママ)。五年八月廿一日の御書には家康とみゆ。)……正確な時期は不明ながら、永禄5年(1562年)に入ってから8月21日までの間に改名したと考えられます。
※『東照宮御實紀』巻二「永禄五年元康改名家康」
ちなみに、久松長家はこれを機に久松俊勝(ひさまつ としかつ)と改名。主君の頭文字を踏みつけることを遠慮したのでした。
■徳川家康(24ごろ~死去74歳)

徳川家康公。
家康が徳川に改姓したのは永禄9年(1566年)ごろ。朝廷より三河守に任じられる都合上、藤原氏の流れをくむ徳川(得川)を称したと言います(諸説あり)。
この努力(改竄?)が功を奏して同年12月29日、朝廷より三河守を叙任され、名実ともに三河一国の主となったのでした。
■終わりに
そして元和2年(1616年)4月17日、駿府城で波乱の生涯に幕を下ろした家康。その英霊は神とあがめられ、翌元和3年(1617年)2月21日に朝廷から東照大権現の神号を賜わります。

「神の君」となった徳川家康。狩野探幽筆
……御無からは其夜久能山におさめまいらせ給ひ神とあがめ奉る。あくる三年二月廿一日 内より 東照大権現の 勅號まいらせられ……これがいわゆる「神の君(東照神君)」。家康は武門の棟梁として、東国を照らす神と祀られたのでした。
※『東照宮御實紀』巻十「東照宮號宣下」
今はまだまだ頼りない感じの元康が、神の君となるまでには多くのドラマが待っています。
「どうする家康」、松本潤が演じるこれからの成長が楽しみですね!
※参考文献:
- 経済雑誌社『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
- 小和田哲男『詳細図説家康記』新人物往来社、2010年3月
- 二木謙一『徳川家康』ちくま新書、1998年1月
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