次回の7話「わしの家」から三河一向一揆編へ突入します。
そこで、今回は一向一揆にゆかりのある「一向宗」の由来や成り立ちについて解説します。
■一向宗は浄土真宗だった!?
親鸞/Wikipediaより
意外なことに、一向宗は浄土真宗本願寺派の俗称でした。なぜ、一向宗として呼ばれるようになったのかというと、経典の1つである『仏説無量寿経』が関係していました。『仏説無量寿経』は、浄土真宗の宗祖である親鸞が重んじいた経典であり、浄土真宗の重要経典でもあります。
その経典には「一向専念無量寿仏」の教えの記載があり、親鸞からも「阿弥陀仏一仏に向け」との教えが残っていました。
この2つの教えにより、世間からは「あの宗教は一向宗だ」と、勝手に呼ばれるようになりました。
■鎌倉時代から一向宗と呼ばれる宗教があった

一向俊聖/Wikipediaより
そして、一向宗と呼ばれる宗教はもう1つありました。それは鎌倉時代の僧侶・一向俊聖(いっこう-しゅんしょう)が宗祖となった一向宗です。
一向俊聖の一向宗は、浄土宗の宗派の宗教。そのため、宗教的価値観が同じな一向宗を浄土真宗本願寺派に取り込んだ際、一向宗の教徒は浄土真宗本願寺派を一向宗として呼ぶようになりました。
■浄土真宗教徒は一向宗と自称できないようにした!?

蓮如/Wikipediaより
浄土真宗本願寺派第8世宗主の蓮如は、一向宗と混同して浄土真宗本願寺派が呼ばれることを憂い、浄土真宗の教徒が一向宗を自称することを禁止します。これに違反した者は、破門処分にする徹底ぶりでした。
この背景から、浄土真宗の教徒たちの中にも一向宗を自称する者がいたことがうかがえますね。
しかし、蓮如の努力虚しく、江戸時代には一向宗が浄土真宗の公式名称となりました。これには、徳川家康が三河一向一揆で苦しめられたことや将軍家が浄土宗を信仰していたことが背景にあります。
そして、一向俊聖の一向宗は踊り念仏を用いたことから同じく踊り念仏を用いる時宗の一派に改名させられました。
■最後に
一向宗の由来からわかるように、戦国時代になると各宗教の違いが曖昧になっているのではないかと思いました。
浄土真宗と浄土宗は、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土に行けるという同じ価値観を有している宗教。そのため、必然的に同じ宗教として見えてしまったと考えられます。
「どうする家康」では、一向宗が家康に牙をむくので、この窮地を家臣たちといかに脱するのか楽しみでもありますね。
※参考文献:神田千里『戦国と宗教』岩波書店、2016年
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