さくらんぼの集出荷が盛んになるシーズンですね。実はさくらんぼの歴史は有史以前まで遡ることができ、その起源とされるセイヨウミザクラ(甘果桜桃)はイラン北部からヨーロッパ西部にかけて自生していたとされています。
また、別の種であるスミミザクラ(酸実実桜)の原産地はアジア西部のトルコあたりであるとされ、もともとは外国産だったことが分かります。
現在のさくらんぼのもとになった甘果桜桃が日本に伝わったのは1872~1875年頃。輸入元はアメリカやフランスでした。
現在、日本全体のさくらんぼの生産量の約4分の3にあたる約13,800tを生産している山形県ですが、同県でさくらんぼの栽培が始まったのは明治8年のことです。この年、同県には東京から洋なし・りんご・ぶどうなどの苗木にまじって、三本のさくらんぼの苗木が入ってきました。
明治9年には、初代山形県令である三島通庸が、北海道からもりんご・ぶどう・さくらんぼの苗木を取り寄せています。
三島通庸の肖像写真(Wikipediaより)。山形県の近代化を推し進めた
また、同年に山形県寒河江市では、本多成充と井上勘兵衛がやはり北海道からさくらんぼの苗木を取り寄せ。明治11年には同市に外来種の試験場も設置されました(ちなみに寒河江市は、現在も山形県の有力なさくらんぼ産地のひとつです)。
特に山形県でさくらんぼの生産が盛んになり、他の地域ではそれほどでもなかったのはなぜでしょうか。
■なぜ山形県なのか
実は、山形県以外の地域では、さくらんぼがうまく育たず、農作物としては定着しませんでした。主な原因は霜害・梅雨・台風被害などです。

さくらんぼはとてもデリケートなので、今でも霜や突風、多雨などには農家も注意を払っています。さくらんぼが同県を代表する農作物になったのは、品種開発や雨よけ栽培などの管理技術がきちんと確立されたからでもあります。
最近はやまがた紅王などの新品種も誕生していますが、革命的にさくらんぼの価値を高めたのは、同県東根市の農家・佐藤栄助によって開発された「佐藤錦」です。
■革命的だった「佐藤錦」
佐藤栄介は、日持ちはよくないが味のよいさくらんぼの品種・黄玉と、酸味は多いが固くて日持ちのよい品種・ナポレオンをかけ合わせ、大正11年に初めて新しい木に実をならせます。
そして複数ある中から原木を一本に絞り、風味・日持ちともによい品質のさくらんぼ品種を発明したのでした。

山形県東根市のさくらんぼ畑
また、栄助の友人であり苗木商でもある岡田東作は、この新品種の将来性をいち早く見抜き、昭和3年に佐藤錦と命名します。
その後、この新品種に牽引されて、さくらんぼ栽培はリンゴ、洋なし、桃などの果物とともに山形県内で普及していきました。
現在、多くの人が「山形県産の美味しいさくらんぼ」として思い浮かべたり写真で見たりするのは、ほとんど全てこの佐藤錦と考えて間違いありません。
参考資料
山形 味の農園
山形県ホームページ
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