■集団ヒステリーとしての「ええじゃないか」

江戸時代末期に起きた、ちょっとつかみどころのない不気味な社会現象で「ええじゃないか」があります。日本史が好きな人なら、一度は聞いたことがあるでしょう。


これは、1867年の8月から12月にかけて東海地方と中国・四国地方で発生したものです。どこからか「天から御札が舞い降りてくる」という噂が広まって、これを聞いた人たちが、何かめでたいことの前触れだろうとお祭りのように踊ったというものです。

この踊りの中で、「〇〇したってええじゃないか」などと人々は連呼し、男性が女装し、女性が男装しながら熱狂的に町中を巡りました。これを、一般にええじゃないか騒動などと呼びます。

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「ええじゃないか」に興じる人々(Wikipediaより)

当時は日本社会が混乱しており、佐幕派と討幕派の抗争はもちろんですが、地震や飢饉、開国したことによる物価の高騰などで、人々の不安は募るばかりでした。だから何かの引き金があれば、こうした騒動が起きても不思議ではない状況だったと言えます。

これをもっともらしく説明すれば、社会不安を感じた人々のストレスが爆発して、現実から目をそらすために自然発生的に起きた集団ヒステリーだ……ということになるでしょう。

しかし、それにしても、そもそもの発端というのがあるはずです。ひとつの地域だけでなく、さまざまな場所で多発したこの現象が、全て完全に自然発生的だったというのは不自然で、最初の「天から御札が舞い降りてくる」という噂の出どころは何だったのかが問題です。



■ジャーナリストの体験

というわけで最近は、この「ええじゃないか騒動」は何者かが扇動したのではないかという説も出ています。

例えば、江戸時代に幕臣で、明治時代になるとジャーナリストとして活躍した福地源一郎という人は、自著の中で自身が「ええじゃないか」に遭遇した時の話を記しています。

11月末のこと、福地が兵庫に出向いたところ西宮で「ええじゃないか」に巻き込まれたのですが、その時、薩摩の武士と思われる一味や浪人たちが通過した後で、例の御札が舞い降りてきて「ええじゃないか」が始まったという話を聞いているのです。


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福地源一郎(Wikipediaより)

言われてみると、デマを流し、こういう形で市井の人々を煽る動機があるのは、当時の薩摩・長州藩の人間たちです。

当時は長州藩兵が討幕のチャンスを伺っており、また安芸や薩摩の兵たちも上洛する機会を狙っていたといいます。しかし大阪にいる幕府軍は数が多かったので、庶民を煽って騒ぎを起こすことで、どさくさに紛れて挙兵するのを狙っていたのかも知れません。



■黒幕は薩長か?

もちろん今のところ物的証拠はないのですが、ええじゃないか騒動は薩長の人間によって扇動されたものだと考えると、辻褄が合う部分もいろいろあります。

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徳島阿波踊りの掛け声は「ええじゃないか」が起源だという説もある

まず先述した通り、デマによって引き起こされたこういう人為的な騒動が、自然発生的に複数の地域で発生しているのは不自然ですが、やはり陰謀があったと考えるとすっきりするでしょう。

さらに、ええじゃないかにまつわる御札が実際にばらまかれたのは、1867年8月頃と言われていますが、これは大政奉還の二か月前のタイミングです。

そして、岩倉具視の伝記である『岩倉公実記』では、この騒動は12月9日に王政復古の大号令が発令されるのと同時に止んだそうで、まるで何物かがタイミングを見計らっていたかのようにストップしているのです。

さらに、ええじゃないかの歌詞には「長州さんのお上り、ええじゃないか、長と薩摩とええじゃないか、一緒になってええじゃないか」というのもあったそうで、薩長に対して好意的すぎるように思われます。

もちろんはっきりした証拠はありませんが、一応可能性は否定しきれないと言えるでしょう。

参考資料
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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