主人公のお相手役?藤原道長は、本作劇中において藤原兼家の三男として扱われています。
しかしそれは同母兄弟の中であって、実際には藤原道綱など異母の兄弟姉妹が存在しました。
今回はそんな異母兄弟の一人・藤原道義(ふじわらの みちよし)を紹介。果たして彼は、どのような生涯を送ったのでしょうか。
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■一生のほとんどを引きこもって過ごす

孤独だった藤原道義(イメージ)
藤原道義は生年不詳、康保元年(964年)から康保3年(966年)の間に誕生したと考えられています。
道義の母親は藤原忠幹女(ただもとのむすめ)、兼家の四男として扱われました。
ただし正式な婚姻関係から生まれた子ではない落胤(落婬)だったらしく、愚か者であることを理由に一生涯をほとんど引きこもってすごしたそうです。
そのため右大臣家の息子であるにもかかわらず、官位は治部少輔・従五位上に終わりました。
(それでも一般人、特に六位以下の下級官人たちからすれば憧れの殿上人ですが……)
実際のところ、道義が何かしら障害を持って生まれたのか、あるいは世間体を考えた兼家らによって愚かということにされたのかは分かりません。
いずれにしても、あまり幸せとは言えない生涯だったろうことは察するに余りあります。
■日本第一色白(尊卑分脈)とは?

ひっそりと暮らしていたのか、あるいは意外と悠々自適だったのか(イメージ)
ところで『尊卑分脈』によれば、藤原道義は「日本第一色白也」と評されたようです。
この表現はどういう意味でしょうか。いくつかの解釈が考えられます。
いったい何をしでかしたのか、ちょっと気になりますよね。ね?
■終わりに
以上、兼家の四男で道長の異母兄・藤原道義について紹介してきました。
果たして道義が大河ドラマ「光る君へ」に登場することは……恐らくないでしょう。
兼家や道長、そして道隆・道兼・詮子らが生活している東三条邸。そのどこかに道義もいることを、どうか覚えておいて下さいね。
※参考文献:
- 上村悦子『蛸蛤日記解釈大成 第二巻』明治書院、1986年1月
- 中世文学会『中世文学 40巻』中世文学会、1995年6月
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